マンガ

あだち充論 『H2』を中心とした作品における恋愛とスポーツの関係についての考察

はじめに あだち充作品の特徴は<恋愛とスポーツとの有機的連関>にある。➀恋愛とスポーツの両要素を十分に描きながら、➁同時に両者が物語の展開の中で密接に絡み合って進行する。➀に関してあだち作品において特筆すべき点は、両要素について一方がもう一方…

ヒカルの碁の考察 佐為あるいは棋譜の中にだけ存在する真実

『ヒカルの碁』の最も重要なモチーフは<棋譜の中にだけ存在する真実>である。ここでの棋譜とは白と黒の石が交互に置かれていった記録に過ぎない。にもかかわらずそこに作中の棋士たちは後述のようにあまりに多くのものを読み取っていく。それが可能なのは…

キメラアント編の軍儀における定石についての考察

キメラアント編におけるメルエムとコムギの交流について、軍儀の定石に着目して考察を行う。メルエムは当初、定石を乱した力戦に持ち込む指し手に終始した。それが次第に定石をなぞるようになり、新しい定石をコムギとともに生み出すに至る。この変遷は、メ…

スポーツ漫画とは何か 『SLAM DUNK』評論③ 三井と湘北

三井について 最後は三井である。三井は『SLAM DUNK』において最もキャラクターの掘り下げに成功した人物である。そして、それ故に絶大な人気を誇るのだと思う*1。三井は一番かっこ悪い男であり、一番かっこいい男でもある。湘北バスケ部入部当時、三井は「…

スポーツ漫画とは何か 『SLAM DUNK』評論② 宮城と赤木

宮城について 湘北スタメンメンバーにおいて、桜木・流川の一年生コンビは「粗削りな大器と天才的な点取り屋」という赤木・三井の三年生コンビの立ち位置を反復している。この4名についてはその内面的課題が作中で浮き彫りにされ、キャラクターの掘り下げも…

スポーツ漫画とは何か 『SLAM DUNK』評論① 桜木と流川

はじめに 『SLAM DUNK』は、バスケ漫画のみならず、スポーツ漫画の金字塔である。スポーツはその性質から通常勝敗を伴う。勝敗条件と競技時間がルールで定義されるから、プレイヤーの思いとは何の関係もなく、ゲーム終了時には無情なほど一義的に勝者と敗者…

バトル漫画の本質について 暴力とその正当性

まとめ 10年代以降の作品群について ここまでで、80年代作品群の特徴、90年代模索期の特徴と成果、00年代に受け継がれた遺産を見てきた。10年代以降の作品群においても、基本的に同傾向の物語フォーマットが見られる。特に特筆すべきものとして、『約束のネ…

『ONE PIECE』、『NARUTO』、『BLEACH』、『銀魂』、『DEATH NOTE』の考察 ――90年代後半の遺産の相続人たち

遺産の相続人たち 90年代後半の低迷期から、00年代に入ることになると、ジャンプはヒット作を連発して息を吹き返す。具体的には、『ONE PIECE』、『NARUTO』、『BLEACH』、『銀魂』、『DEATH NOTE』といった作品群だ。これらは『DEATH NOTE』を除いて長大化…

ジャンプ90年代後半の模索が遺したもの 友情・努力・勝利の再編

ここまでのまとめ これまで、80年代作品群と比して、物語構造の骨格に大きな変化があったことを記述してきた。ここでその変容をまとめてみようと思う。そのためには、ジャンプのスローガンである「友情・努力・勝利」の観点で整理するのがよい。 「努力」の…

『幽遊白書』の考察 ――90年代の先駆者たち②

戦う理由の自明性の問題について 「敵と出会い戦い勝利する」営みの繰り返しへの倦厭 次に、③戦う理由の自明性の問題を検討する。『幽白』の作者冨樫義博は、本作が後半に進むにつれ、「戦うこと」それ自体についてのさまざまな疑念に取りつかれるようになっ…

『ジョジョの奇妙な冒険』と『幽遊白書』の考察 ――90年代の先駆者たち①

90年代の先駆作品としての『ジョジョの奇妙な冒険』と『幽遊白書』 戦闘力のインフレについて 『ジョジョ』の先見性を語るときには、ほとんど通説となった感のある②戦闘力のインフレ化に対する対応について書かねばならない。すなわち、②’頭脳戦(あるいは能…

『シャーマンキング』の考察 ――ジャンプ90年代後期作品群について②

シャーマンキングについて 本節の最後に、『シャーマンキング』を扱う。本作のラスボスである麻倉ハオは、物語の早い段階で、その圧倒的な強さから、絶対に倒すことができない存在として描かれる。そのため、<「力で敵をねじ伏せる」以外の方法で、いかにラ…

『るろうに剣心』、『封神演義』の考察 ――ジャンプ90年代後期作品群について①

90年代後期の低迷期・転換期の作品群の特徴 少年ジャンプは94年末に史上最大の発行部数に到達する*1。その後、次第に部数は下落し、一時はマガジンに発行部数を抜かれるまでに低迷する。この時期を支えたバトルものとして、『るろうに剣心』、『封神演義』が…

ジャンプバトル漫画の歴史

はじめに 80年代以降のジャンプにおけるバトルマンガの描かれ方について大きな流れを書く。この範囲を対象としたのは、「少年マンガ」かつ「ジャンプ作品」かつ「バトルマンガ」が、今日におけるマンガというジャンルにおいて、一丁目一番地と考えるからであ…

『かげきしょうじょ‼』第7巻 スピンオフ中山リサ編あるいは聖先輩の卒業について  

聖先輩の卒業にまつわるエピソードは、あまりに的確に・精密に人の心の最も柔らかいところを貫く。貫かれた僕たちは、言葉を失ってただただ立ち尽くすばかりだ。彼女は本作品内において、明らかに特異な存在である。紅華=宝塚の暗い側面をほとんどただ一人…

キメラアント編考察② 人類からの贈り物 ――無償の愛と底すらない悪意

前回はメルエムがネテロ・コムギに与えたもの、そして人類すべてに与えようとしたものについて書いた。ネテロとコムギは彼からの贈り物を受け取り、幸福のうちに死んでいったが、人類は彼からの贈り物を拒み、人類の持つ最も暗い部分をもって彼に報いた。 本…

『鬼滅の刃』考察 何故売れたのか 物語に横たわる危険性とコロナ禍における日本社会

僕は『鬼滅の刃』に乗れなかった。マンガを全巻読み、映画も観たが何故ここまで売れたのかよくわからなかった。周りの同年代(アラサー)マンガ読みと話をしたとき、皆作品の質が高いことは認める。が、何故ここまで売れたのか、また多くの人間が何故面白いと…

『最強伝説黒沢』の考察 何故黒沢は「最強」なのか

『最強伝説黒沢』をはじめ、福本作品には常に一貫した世界観が通底している。それは信頼と情熱と信仰の不在である。誰も信じることが出来ない。自分にすり寄ってきた人間が次の瞬間には自分を蹴落とし、見捨てる。何も信じることが出来ない。信じるに値する…

るろうに剣心『追憶編』の考察 少年兵というモチーフについて

マンガやアニメ等のサブカルチャーにおいて、少年兵というモチーフは頻出である。今回扱う、るろうに剣心以外にすぐ思いつくものをあげても、エヴァ、ガンダム、ぼくらの、最終兵器彼女、マヴラヴシリーズ、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン等々数多くのヒッ…

キメラアント編の考察 ジャイロとは何者なのか――メルエムとの対比で読み解く

前回は劇的な死を遂げたメルエム・コムギ・ネテロをキメラアント編における物語の幹として解釈を行った。メルエムが中央に位置し、それに向き合うのがコムギとネテロである。コムギは人間の文の極致を代表する者として、ネテロは人間の武の極致を代表する者…

キメラアント編考察① メルエム=キリストによる人類の祝福と偽キリストの原罪

『HUNTER×HUNTER』におけるキメラアント編は現代少年マンガの最高到達点だと思う。しかしながら、キメラアント編を正確に理解し、その素晴らしさを汲みつくした評論・考察は目につかない。本文はキメラアント編とは何だったのか、そしてその素晴…