るろうに剣心『追憶編』の考察 少年兵というモチーフについて

マンガやアニメ等のサブカルチャーにおいて、少年兵というモチーフは頻出である。今回扱う、るろうに剣心以外にすぐ思いつくものをあげても、エヴァガンダム、ぼくらの、最終兵器彼女、マヴラヴシリーズ、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン等々数多くのヒット作が思い浮かぶ。少年兵がモチーフとなる理由は、戦争が娯楽のテーマとしてポピュラーであることがまずあろう。そして、サブカルチャーにおいて想定される主な消費者が若い世代であり、彼らが感情移入しやすいよう、少年(または少女)が主人公となるため、少年兵がサブカルチャーにおいて頻出となる。

上記のような作品群には共有される特定のパターンがある。①主人公たちには戦況を左右するほどの大きな力が、何らかの理由で与えられる。②多くの場合、その力のため否応なく戦争に巻き込まれていく。そして、③戦わなくてはならないことに対する葛藤がドラマにおける一つの主題となる(余談だがジブリ作品においてもナウシカやアシタカ等、10代の子どもたちが戦争に巻き込まれる。しかし、彼らは決して自身が手を汚すことや自らが危険に晒されることについて、泣き言を言わない。安易な戦争忌避を娯楽として表現することについて思うところがあるのだろう)。

子どもが戦争に参加し、また参加し続けるには、相応の実力が必要となる。また、物語の快楽原則としても、ただの一兵士の位置づけでは物足りない。消費者が望むのは英雄譚である。結果、主人公たちには大きな力が与えられる。しかし、普通主人公たちは戦闘狂ではなく戦争屋でもない。戦争に参加し続ける理由付けが必要になる。そのため、巻き込まれて否応なく戦争に参加させられるという形がとられる。あるいは、主人公たちが持つ実力故、戦争への参加を余儀なくされる。一言でいえば、「世界または自分たちを守るために、大いなる力を持つ自分が戦わざるを得ない」というのが最も典型的な物語形式となる。

この点、るろうに剣心『追憶編』における筋書きは上記のような定石と大きく異なる。主人公たる剣心は、年齢としては十代前半の時期に、自らの意志で関わる必要のなかった動乱に飛び込む。そして自らの手を汚していく。以下は剣心とその師匠比古が決別するシーンである。

比古「山を降りる事は許さん」

剣心「師匠! こうしている間にも大勢の人が動乱に巻き込まれて死んでいるんですよ 今こそこの力を御剣流を人々を守る為に使う時でしょう」

比古「この馬鹿弟子が!その動乱の世にお前が一人で出て行ってどうする この乱世を変えたくばいずれかの体制に与するしか策はない だがそれは即ち権力に利用されるという事だ 俺はそんな事の為にお前に御剣流を教えたわけではない お前は外の事など気にせず修行に励めばいい」

剣心「目の前の人々が苦しんでいる 多くの人が悲しんでいる それを放っておくなど俺にはできない」

比古「飛天御剣流は比類なき最強の流派 例えるなら陸の黒船」

剣心「だからその力を今こそ使うべきでしょう 時代の苦難から人々を守る為にそれが御剣流の…」

比古「剣は凶器 剣術は殺人術!どんなきれい事やお題目を口にしてもそれが真実 人を守る為に人を斬る 人を生かす為に人を殺す これが剣術の真の理 俺はお前を助けた時のように何百人もの悪党を斬り殺してきた が、奴らもまた人間 この荒んだ時代の中で精一杯生きようとしていたにすぎん この山を一歩出れば待っているのは各々の相容れない正義に突き動かされた飽く事のない殺し合いのみ それに身を投じれば御剣流はお前を大量殺人者にしてしまうだろう」

剣心「それでも俺は この力で 苦しんでいる人々を救いたいんです 一人でも多くの人を 多くの命を この手で守りたい その為に…」

剣心「師匠!」

比古「お前のような馬鹿はもう知らん どこへでもさっさと行ってしまえ」

剣心「ありがとう…ございました」

比古の独白「俺の馬鹿弟子は馬鹿なりに自分の生き方を選んだという事だな 純粋なるが故にこれもまた避けては通れぬ道…」

上記会話にて比古により剣心の未来が予言されていることに注意すべきだ。しかし、その言葉は剣心には届かない。孤児として育った剣心は、修行に明け暮れ人の温かみに触れずに育ってきた。そのため、人の命のかけがえのなさがわからない。わからないから人を生かすために人を殺すことの意味する本当のところがわからない。

その腕前を買われ人斬りとなった剣心は、後に最愛の人となる巴の許嫁をそれとは知らず斬り殺してしまう(頬の傷の片方はこのときについたものだ)。皮肉なことにこのことなくして巴と剣心が出会うことはない。巴は許嫁の復讐のために京都に身を投じ、素性を隠して剣心に近づく。二人の出会いの結末が、悲劇的なものになることは予め定まっていたのである。刃物を身に隠し剣心に近づく巴。はじめて剣心を見た巴は面食らう。まだほんの子どもではないか。剣心の横顔を見つめながら独白する。

巴「子どもだって、人は殺せる…」
巴は直ちに行動に移すことなく、剣心という人間を見極めようとする。何故子どもが人殺しに手を染めるのか。彼は何を思って人を殺すのか。巴はそれを知ろうとする。子どもに人斬りの責任を帰属させて良いのか戸惑いながら。

巴「(山積みになっている本を指さして)これ、全部読んだのですか?」
剣心「いや、一冊も」
巴「えっ?」
剣心「寝る時に ちょうどいいから積んである “人斬り”に学問は要らん」

巴「このままずっと人を殺め続けるつもりですか?安全な場所が見つからないのはあなたの方ではないのですか?刀を抱かなければ眠れないなんて」
剣心「小さな時からずっとそうしてきた 目の前で人が斬られるのも見た そしてこの先もずっと… こんな役目だ そう長くはないと思う それにあなたに心配されるいわれもない」
巴「だけど…」
剣心「俺は血の雨を降らせる“人斬り”だ あなたの持ち物に再び血の匂いをまとわせるのは忍びない」
巴「差し出がましい事を申しました 私には所詮理解できない生き方のようです お邪魔しました」
剣心「巴さん ありがとう」

剣心に礼を言われ巴はハッとする。人斬りになるに至った半生を垣間見るだけでなく、ここで巴ははじめて剣心の人間らしい側面を見る。

そして、剣心を人斬りにした張本人である桂小五郎に呼び出された巴は、剣心に汚れ仕事を押し付けた彼に怒りを露わにする。

桂「許せよ 夜分にすまんな」
巴「桂さん…」
桂「いや 誰も起こさんでいい あんたに用があって来たんだ」
桂「“狂”たる正義… 我が師 吉田松陰先生の教えだ」
桂「そして緋村にはその“狂”たる正義の急先鋒を務めてもらってる」
「子供に刃物を持たせてですか?」

ある夜、巴は剣心を居酒屋へ誘う。そして巴の秘めた思いが滲みだすような、胸を締め付けられる一連の会話がなされる。

巴「あの…良かったら今晩、お付き合い頂けませんか」
剣心「え?」
巴「女将さんからお休みを頂いたんです たまには外で気晴らししたいと思って…でも一人では所在ないし」
剣心「そうか」
(中略)
剣心「久しぶりだ まともな味がする」
巴「きっとお祭りだからでしょう 私はあなたと逆…近頃はあまり飲まなくなりました」

剣心「不味いのか?」
巴「いえ 前と違ってお酒に頼る気がしなくなった…不思議ですけど」
剣心「頼る…そうか」
巴「その後、頬の血は止まりましたか?」
剣心「忘れていた」
巴「じゃあもうすっかり傷は良くなったんですね」
剣心「血が滲まなくなっただけだ」
「その傷を目にする度に思います 斬られる人にはどんなものが見えたのかしら」
「あなた達は人を幸せにする為に人を斬るって言うけれど…」
剣心「何だ」 
「人を殺して得られる幸せなんて 本当にあるとは思えない」
剣心「毎日色んな事がもとで人が死ぬが、俺は無闇に人を斬っているわけではない」
「つまり…その人にどれだけ生きる価値があるか 計っているのでしょう」
「しかも それさえあなたは人に委ねてしまって 言われるままに…」
剣心「相手の事を詳しく知れば迷いが出る 世の中を変える為だ 俺にはそれだけの理屈でいい」

ここで会話は打ち切られてしまう。異常な美しさと残酷さを見せる池田屋事件が始まるからだ。ここでも剣心には巴の思いがわからない。人を斬ることの重みと意味がわからない。

池田屋事件とそれに続く禁門の変により長州藩は総崩れとなる。剣心は桂により、巴とともに夫婦として姿を隠すよう申し付けられる。この共同生活により、剣心と巴の心の交流は一層深まっていく。「君の幸せは俺が守る」と巴に誓う剣心。「人を斬っていないときのあなたは、優しすぎる…」と独白し、復讐の決意が揺らぐ巴。

剣心が寝静まった深夜、人知れず厠で血を流す巴のシーンは印象的である。すでに様々なサイトで指摘のあるように、このシーンの意味するところは、①許嫁の死により止まっていた生理が戻る程度にショックから立ち直りつつあること。しかし、②剣心にまだ身体を許していない(つまり心も完全には許していない)こと。③人知れず板挟みの苦しみの中にあること。などを暗示するものだろう。

巴が情にほだされていくとともに、剣心もまた人の温かみに触れ、愛することを知っていく。そして、巴が初めての最愛の人となる。凪のような幸福な時間は永遠には続かない。宿命づけられた破局へと物語は突き進んでいく。ある朝突然巴は出奔する。

巴「さよなら…私を愛してくれた2人目のあなた…」

出奔の背景には巴をスパイとして送り出した幕府直属の隠密組織「闇乃武」の指示がある。巴は剣心に一人で近づいたのではない。後ろ盾とその支援なくしてそう首尾良く剣心に近づくことなど出来ない。剣心は仲間の報告と巴の日記により、巴がスパイだったこと、巴の許嫁を自らが殺めて巴の幸福を壊したことを知る。ぼろぼろになる剣心。そこに「闇乃武」が待ち受ける。巴が剣心を愛するところまで含めて「闇乃武」の計画だったのだ。弱り目に祟り目ながら次々に「闇乃武」の者を打ち破り、「闇乃武」頭領との最終決戦に臨む剣心。その決着の瞬間、巴が二人の間に身を投げ出した。この瞬間、「闇乃武」頭領は打ち破られるとともに、巴もまた命を失う。剣心は再び罪を犯すこととなる。すなわち、最愛の人の幸せを守れず壊したばかりか、今度はその人自身を自らの手で殺す。事切れる直前、巴は剣心の頬にもう一つの傷を加えて十字傷を作る。そして、「ごめんなさい、あなた」とつぶやき息絶える。

この映画史に残る名シーンには、すでに様々なところで言及のあるように、あまりに多くの意味が込められている。すなわち、巴が十字傷を作った意味とは、①許嫁の無念を晴らすささやかな復讐であり、②印を残し剣心の中に生き続けようとする想いであり、③最初の傷と恨みを断ち切り許すものであり、④自分と許嫁を忘れさせない呪いである。そして、「闇乃武」頭領と剣心の決戦に身を投げ出して命を捨てたことは、許嫁への忠義立てであるとともに、最愛の人を喪う気持ちを剣心に味合わせる復讐でもある。そのため、「ごめんなさい、あなた」にもまた、複数の意味が込められることとなる。すなわち、①剣心を殺せず終わったことについて。②剣心を愛してしまったことについて。③復讐のために自らを偽り近づいたことについて。④剣心を裏切り、かつ死ぬことで深く傷つけたことについて。言わば巴は、剣心の肉体を生かし精神を殺し、心に呪いをかけ魂を救ったのである。

巴の死をきっかけに、剣心は不殺を誓う。死して剣心の鞘となり、彼の魂を守ったのだ。だからこそ、剣心は殺人狂に堕することも、自ら命を絶つこともなく、その罪とともに生きていくことにしたのである。

剣心が巴の死後も戊辰戦争終結までは人を斬り続けたことには注意を払うべきだろう。本作において、一般論としての殺人の是非は一切問題とならない。殺人の是非は、徹底して剣心個人の内面の問題として語られる。剣心は、維新の暁には、もう決して人は斬りたくないと強く強く思った。それだけだ。
まとめよう。一般的な少年兵を扱うサブカルチャー作品における子どもの参戦は、前述の通り自らの意志によるものではない。自らの意志によらない殺人への葛藤は、中途半端なものとなる。その場合、ある意味結論はすでに出ている。殺すか殺さないかの是非を自分は決めることが出来ないのだから、その分だけその罪は割り引かれる。しかし、『追憶編』の場合はそうはいかない。予め師匠である比古により示されていた結末に、剣心は自らの意志によって至るからである。子ども故の、すなわち殺人の本当の意味を知らないが故の、自ら選択した殺人に対する罪と罰。最もクリティカルな形で表現したものが本作と言えるだろう。

最後に、維新後が舞台のるろうに剣心本編において、剣心が語った言葉を引用して終わりたい。

「薫殿の言ってる事は一度も己の手を汚した事がない者が言う甘っちょろい戯れ言でござるよ けれども拙者はそんな真実よりも薫殿の言う甘っちょろい戯れ言の方が好きでござるよ 願わくば、これからの世はその戯れ言が真実になってもらいたいでござるな」