2016-01-01から1年間の記事一覧

三島由紀夫『鹿鳴館』の解釈について アリストファネス『女の平和』を手掛かりにして

『鹿鳴館』は、昭和31年に発表された戯曲である。内容としては、明治19年天長節の午前から夜半までの、愛憎と陰謀が渦巻く鹿鳴館を舞台とした悲劇である。三島による自作解題によると、本作はピエール・ロチの『日本の秋』と芥川龍之介の『舞踏会』の影響を…

役に立たなくて不快な人間はどこに行くのか? 中年童貞とかアメリカ大統領選とかの話

世の中には、役に立たなくて一緒にいるとそれだけで不愉快にさせられる人間というのが一定数いる。そういう人間は、今の社会では、要らない人間とされている。役に立たないけれど不愉快でない人間や、役に立つけれど不愉快な人間なら、何らかの形で誰かから…

何故「いつも何度でも」はどことなく怖いのか

ジブリアニメの千と千尋の神隠しの主題歌、いつも何度でもはどことなく怖い。おそらく多くの人がそのように感じているのではないかと思う。本編の内容自体もまた、少し距離を置いて考えると、表層のファンタジックな世界のほんの少し内側には、おどろおどろ…

まどマギ最終回における奇跡についての考察――Don't forget. Always, somewhere, someone is fighting for you. As long as you remember her, you're not alone.

まどマギの感想については、小飼弾さんの『404 Blog Not Found:奇跡も、魔法も、あるんだよ - 作品評 - 魔法少女まどか☆マギカ』で、もう言うべきことはすべて言い尽くされていると感じていたため、何も今まで書いたり話したりしようとは思っていなかった。…

機械が人間になるとき、そして、人間が機械になるとき

以前のブログ『機械には代替出来ないこと、すなわち感情労働、あるいは人間を人間たらしめている何物かについて 』で、「人間がセクサロイドを人間であると考えている限りにおいてのみ、セクサロイドは完璧なセクサロイドになりうる」と書いた。これはつまり…