スポーツ漫画とは何か 『SLAM DUNK』評論① 桜木と流川

はじめに

 『SLAM DUNK』は、バスケ漫画のみならず、スポーツ漫画の金字塔である。スポーツはその性質から通常勝敗を伴う。勝敗条件と競技時間がルールで定義されるから、プレイヤーの思いとは何の関係もなく、ゲーム終了時には無情なほど一義的に勝者と敗者が定まる。勝つためには強くならなければならない。

 井上雄彦は「強さ」にこだわり続けた作家だ。それは『SLAM DUNK』に限らない。『バガボンド』の主人公宮本武蔵は「強さ」を求め、「強さとは何か」を追い求めていく。また、『リアル』における重要人物、日本一の悪役プロレスラースコーピオン白鳥は脊髄損傷を負って同様の状況下にある高橋につぶやく。

「思えばずいぶんチビの頃から『強くなりてえ』『強くなりてえ』ってよ――そんな俺の現在地は世間でいうところの『社会的弱者』 強さって何だろうな、高橋君…。強くなりてえなあ」

ここでいう「強さ」とは、即物的実力ではないことは明らかだ。『バガボンド』にせよ『リアル』にせよ、作中で描かれる「強さ」は、「内面的な強さ」の探求へと深化していく。

 勝敗が一義的に定まり、「強さ」の定義が自明に思われるスポーツ漫画たる『SLAM DUNK』においても、「内面的な強さ」の探求は主要キャラクターの掘り下げによって十全に果たされる。スポーツという装置は、好敵手とのギリギリの戦いを強いることでプレイヤーたちを極限まで追い込み、その者の本質に迫り、あるいは自己変革を要求する。『SLAM DUNK』が金字塔たるゆえんは、スポーツ漫画の持つ上記特性をこの上なく活かしたことにある。

 湘北スタメンメンバーの5人は、競技の中で「強く」なるために「弱さ」と向き合うことを否応なく求められ、自分の「弱さ」に直面することで「強く」なっていく。彼らは強烈なエゴの持ち主たちである*1。例えば、陵南対海南の戦いを見て中座した流川・宮城・三井は、「やはり明日はオレの出来次第だ…」と自負している。彼らが自分の「弱さ」に向き合うことは簡単なことではない。無情なほどに否応なく一義的に勝敗の定まる競技において、その厳しさ・緊張感において、初めて可能になる。それをこれから見ていく。

桜木について

 桜木花道は「初心者」であり「弱い」。陵南戦ではチームの「穴」として狙われ、初歩的なプレイでミスを繰り返して、一方的にライバル視する流川からは「税金みてーなもんだ…… おめーのヘマはもともと計算に入れてる……つっただろ ど素人」と言われる。彼の場合、自分の弱さは前提であって、それを改めて認める必要は薄い。ただし、自己に対する幻想は打ち砕かれる必要があった。桜木は動画を見て自分のシュートフォームが素人丸出しであることを知り、ショックを受ける。

安西監督「下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目」

 あるいは、いい勝負ができると思って挑んだ流川との1on1でコテンパンにやられて桜木は放心状態になる。安西監督からも後に「彼のプレーをよく見て...盗めるだけ盗みなさい。そして彼の3倍練習する。そうしないと...高校生のうちには到底彼に追いつけないよ」と言われ、「このときから、桜木は流川のプレイを目で追うようになる。それに伴い、のちにさらに加速度的に成長していくことになるのだが……それはもうちょっと先のことである」とナレーションされる。

 また、晴子に振り向いてもらう下心からバスケを始めた経緯もあって、桜木にはスタンドプレーに走る傾向があった。彼にとってはチームが勝つことは重要ではなく、自分が目立って評価されることが重要だった。基礎的なシュートを「庶民シュート」とバカにして、派手で目立つダンクをむやみに狙おうとする。それが次第に変化していく。決勝リーグの海南戦において、「やっとの思いでつかんだチャンスなんだ」と鬼気迫る様子で試合に臨む赤木の思い*2にあてられて、負傷した赤木が試合に戻るまで自分がこの試合を支えると決意する。

桜木「俺に今できることをやるよ!!やってやる!!」

 「勝つためにできることをやる」とは、「できないこと」を見極め・認めることに他ならない。桜木自身が認めるように「ドリブルのキソ、庶民シュート、リバウンド」と、素人に毛の生えた程度の桜木にできることは多くない。チームが勝つためにはスタンドプレーではなくサポートに徹する必要がある。こうして桜木は勝つために、必然的に、自らの弱さ・至らなさを認めて受け入れていく。桜木はプライドを捨てて現状を正しく認識し、チームプレイに徹するようになっていった。桜木は初心者だから、彼が試合に勝つ上で要求された事柄も、基本的なことばかりだった。

流川について

 対して「スーパールーキー」流川はどうか。流川の心情が作中で描写されることは少ない。それは主人公桜木にとって彼が「他者」であるからだ。恋敵であり、一方的なライバルであり、絶対的な実力差を見せつけてくる存在である。桜木にとって、流川は恋愛においてもバスケにおいても望んだものをすべて持つ絶対的な存在として観念される。

 天才仙道とすら互角に渡り合う流川が、山王戦でははじめて一方的にやられる。流川はじめての窮地である。そこではじめて彼はパスを出す。何故パスを出したか。言い換えれば、何故これまでパスを出さなかったか。流川楓はすでにゲームを支配している」と評された彼は、パスを出す必要がこれまでなかった。すなわち、自分で決めた方が勝つことが出来た。流川の実力が他に比して卓越する通常時において、流川自身の勝利とチームの勝利は未分化である。その前提が日本一のプレイヤー沢北との対決によって崩される。具体的には、①流川の実力が他に比して卓越していること、②流川の勝利とチームの勝利が未分化であること、である。流川が山王戦の最初に放ったパスは、①の前提を取り戻すためのパスである。すなわち、パスもあると相手に思わせて、今度は仕掛けて勝つための布石である。この判断には背景がある。以前仙道に言われた言葉が流川の頭にはあった。

仙道「お前は試合の時も1対1の時もプレイが同じだな.....1対1のトーナメントでもあればお前に勝てる奴はそういないだろう。でも実際の試合でもお前をとめられないかと言ったら...そうでもない。お前はその才能を生かしきれてねぇ。1対1もオフェンスの選択肢の一つにすぎねえそれがわからねえうちは、おめーには負ける気がしねえ」

 これまでの一人でガンガン攻めていく「天上天下唯我独尊」スタイルは、圧倒的な敵を前にして再構築を迫られる*3。流川は個人プレイで勝つことができないことを悟り*4、自らのオフェンスの形を拡張することで対応する。流川がはじめて放ったパスは、自分が勝つためのパスである。

 一方で、流川が山王戦の最後に放った桜木へのパスは上記と毛色が違っていることに注意したい。前者は①に対応したパスであり、①自己の卓越を取り戻し、自分が勝つためのパスである。対して後者(最後のパス)は、もはや流川個人の勝利に結びつかない。それはチームが勝つためのパスであり、ここにおいて②’流川の勝利とチームの勝利は分化しているのである。

 この最後のプレイ(流川から桜木へのパス、桜木のジャンプシュートによる得点)が本作における桜木・流川のこれまでの集大成であり、最強山王の敗因を語るものである。試合中、桜木は「奴はパスしねえ、負けたことがねーからだ」と言って沢北の動きを読んでブロックした。何故桜木はそれができたのか。桜木は個人プレイでは負けてばかりで、そのためにパスをせざるを得ないことを痛いほど知っているからだ。

 また、試合に敗れて退場する際に、山王の堂本監督は「『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になる」と言った。沢北に先んじて敗北を経験した流川だから、パスという選択肢が生まれた。そして、タイトルでもある華やかな「スラムダンク」ではなく、自分の無力を認めて地道な練習を繰り返すことでようやく身につけた基本中の基本であるジャンプシュートによって、桜木が決勝点を手にする。

 湘北というチームにおいて、最弱が故にもっともギブしてきた者に、最強が故にもっともテイクしてきた者がギブ(パス)する。この見事な円環構造が最終戦及び物語の締めくくりに現れる。当たり前のチームプレイであるパスと、基礎中の基礎であるジャンプシュートが、試合の内容としても二人のプレイヤーの成長としても、決定的に重要な意味を持つものとして描かれる。

 

 

つづき

killminstions.hatenablog.com

*1:井上作品の登場人物は本作に限らず、強烈なエゴの持ち主ばかりである。そして、『リアル』においてナガノが下記で言うように、エゴは否定されるものではなく必要なものとして語られる。

「エゴを早くに畳んでしまった者に 勝敗を決する最後のプレイは託せない 戦うものなら、まずは「俺が一番だ」という巨大なエゴありきだ 敗北や挫折や様々な経験でいずれそれは削られて形を整えていくだろう それが成熟ということ 逆はない 成熟してからエゴは身につかない なぜだろう...日本はそんな奴ばかりなんだ」

*2:赤木は部員たちに試合前こう語っている。

赤木「オレはいつも寝る前にこの日を想像していた・・・ 湘北が・・・ 神奈川の王者海南大附属とIH出場をかけて戦うところを毎晩 思い描いていた 一年のときからずっとだ」

*3:仙道の言葉とその言葉を受けて実際に変化するまでの間にタイムラグがあったことにも注意したい。言葉の意味を理解すること、それを受け入れることには時間がかかる。一方で、試合という状況は「直ちに」変化することを求めてくる。試合は変わること・成長すること(強くなること)を強制する装置である。

*4:試合後「修行」をした後なら勝てるようになるかもしれないが。