『ジョジョの奇妙な冒険』と『幽遊白書』の考察 ――90年代の先駆者たち①

90年代の先駆作品としての『ジョジョの奇妙な冒険』と『幽遊白書

戦闘力のインフレについて

 『ジョジョ』の先見性を語るときには、ほとんど通説となった感のある②戦闘力のインフレ化に対する対応について書かねばならない。すなわち、②’頭脳戦(あるいは能力の相性)という手法の導入である。80年代の作品群において、強さとは単一の量的な概念で示されるものだった。「戦闘力80万の者が戦闘力500万に勝つケース」を描写するためには、なんらかの理由(怒りや気合とかなんとかによる爆発的な戦闘力の向上や修行)により、戦闘力が相手より上回る必要があった。「敵に勝つには敵より強くならなければならない」という一つのパラダイムがあった。『ダイの大冒険』において、主人公たちのレベルが時折明示され、物語が進むにつれ強くなっていったことが一番わかりやすい例となる*1。しかし、量的な表現方法は前述のように戦闘力のインフレ化という問題をもたらす。

 この問題に対処したものが、頭脳戦(駆け引き)という手法であり、能力の相性という考え方だった。たとえ自分より強い相手でも、裏をかいて勝つ。あるいは、相手の弱点をついて勝つ。これらは戦いを質的な表現方法によって描く。ここには一直線上に序列化された強さはない。単一の強さという要素が複数の要素に多様化した、ということもできる。『ジョジョ』におけるキャラクターの解説で、スタンドパラメータが用いられたこと、これが象徴的であろう。

 『幽白』もまた『ジョジョ』に追随する形で、頭脳戦の手法を取り入れていく。「スピードで敵わない飛影に対し、鏡の反射を利用して背後から攻撃をしかけて倒す」といった頭を使った戦い方は、『幽白』において序盤から散見されるが、「仙水編」でそれは全面化する。そもそも本編での「テリトリー」という概念が、完全な「スタンド能力」のオマージュである。そして、直近の作品である『HUNTER×HUNTER』においては、作品の当初から当該手法が多用され、もはや前提となっている。モラウのセリフ「ボウズ等、念使い同士闘いに『勝ち目』なんて言ってる時点でお前らはズレてるんだよ。相手の能力がどんなものかわからないのが普通。ほんの一瞬の緩み・怯みが一発逆転の致命傷になる。一見したオーラの総量が多い少ないなんて気休めにもならねェ。勝敗なんて揺蕩ってて当たり前。それが念での戦闘…!」は、現代バトルマンガの基本思想についての簡潔な要約といってよいだろう。

 以上、『ジョジョ』を嚆矢とする新手法の性格を確認した。それが後発作品群にどのように影響を与えたか、あるいは前提となっているかについて、自明であろうからここでは論証しない。

 

つづき

killminstions.hatenablog.com

*1:右肩上がりの世界観であり、高度成長期的想像力との対応が想起される。