パワポケキャラクター考察 神条紫杏について(後編)

ジャジメントの勧誘とは何だったのか

 ここまで、紫杏本人ついて焦点を当ててきた。以下では、紫杏に大きな影響を与えた周りの人物、彼女の父及び10主との関係について検討する。

 前述のように、10主はグッドエンドにおいても紫杏を理解していたわけではない。しかし、彼女を破局から救い出すことには成功した。それは何故か。彼女の破局の原因は、ジャジメントからの勧誘にある。

 一度拒絶した紫杏がそれに従うと回答を改めたのは、ルッカによる「脅迫」によるところが大きい。紫杏を10主が説得する場面において、紫杏は「…私はな、もうたくさんなんだ、人のためにがんばるのは。疲れた、それにめんどうくさい!」と言っているが、生徒会の隠し撮りを見せられてそのように心境が変化したと真に受けるべきでない。

 何故なら、今まさに彼女は、父の政治生命と10主の選手生命を守るために自分を犠牲にしようとしているからだ。また、パワポケ11での献身的・自己犠牲的な言動からも、彼女のあり方が変化していないことが裏付けられる。生徒会の隠し撮り映像は、彼女のあり方を変えさせたのではなく、これまでのやり方は温かったこと、一層手段を選ばず実行しなければ意志を貫徹できないことを、彼女に思い知らせたのだ*1

紫杏に破局をもたらした父の呪い

 この場面において、紫杏が置かれた状況を確認しよう。彼女に突き付けられた選択肢は二つだ。ジャジメントの配下になるか、父と10主のキャリアを犠牲にするか、である。10主のネタ(違法薬物使用の証拠)は、紫杏本人が言うように、ジャジメントの財産である親切高校までをも危険に晒すものであるから、その暴露はハッタリの可能性がある*2

 しかし、父の違法行為に関する証拠は致命的である。これを使わない理由がジャジメントにはない。父は失職するか、さもなくばジャジメントの奴隷になるかしか、選択肢はない。いずれにしてもインディペンデントな良心のみに基づく、人生を懸けた父の政治活動は不可能になる。したがって、ジャジメントの配下に加わった正史及びバッドエンドの紫杏は、父の代わりにジャジメントの奴隷になったと言える。

 自分が親切高校で積み上げてきたものが無意味だったことは、彼女にとって致命的だったとは思えない。自身の価値基準の源となる父の積み上げてきたものが無に帰すことが致命的だった*3。紫杏が自身を犠牲としたのは、父を大事に思っているからだ。そして、そのような選択をしたのは、父の「自分を二の次にしてでも世の中を良くしようとした」生き方を内面化したからだ*4

 父の生き方を内面化したことが、紫杏を破滅に導いた。要するに、彼女の父は彼女に呪いをかけたのだ。人格的に優れた人物が、最愛の娘にむごい呪いを意図せずしてかけてしまうという皮肉なシナリオは、いかにもパワポケらしい。

 そして、彼女の父は自身が彼女を作ったということに気づいていない。前掲の紫杏幼少時代の人形の件を思い出してみよう。そのエピソードを語る父は、彼女のかの性質を先天的なものと見ている*5

 だから、父が彼女の性質を誰よりも深く理解していても、その呪いを解呪することは父には出来ない。いや、その呪いの性質から、そもそも内面化の対象である父本人が「内面化を解く」こと、すなわち解呪は不可能なのかもしれない*6

紫杏を解呪した10主

 彼女を解呪したのは、10主である。彼は「箱のフタをしめる」ことによって彼女を解呪した。フタの外/内という線引きによって、紫杏は外=外面の(父が望んだ)「私」と、内=(主人公を前に捏造された)本当の「あたし」をそれぞれ切り出している。

 10主はどちらが本物であるかの判断はしない。どちらがより望ましいかの判断もしない。「フタをしめる」行為の意味を知るためには、「フタをしめなかった」世界線を知る必要がある。以下はパワポケ11での紫杏と11主との会話である。

「演技なんだよ。こんな人間、自然にいるわけないだろ?」

「すると、本来の社長の性格は別にあるってわけですか?それはいったい……」

「さあ、どうだったかな。なにしろ小学生の時からずっとこの人格を演じてるからな。本来の性格がどうだったか、もう忘れてしまったよ。」

「ええと、それならそういう人格を演じようと思ったきっかけは?」

「それも忘れた。ただ、そういう人間になりたかった。怖くても辛くても、演じているだけだと思えば耐えられた。」

「……それなら、社長はもうそういう人間なんじゃないんですか?」

「おそらくその通りなんだろう。まったく、おかしな話だ。」

 ここにおいて、10主に見せた「あたし」はもはや存在しない。父の望んだ「私」が彼女の中で貫徹されている。つまり、「箱の中のネコ」のやり取りをしたあの瞬間は、外面である「私」が内にある「あたし」に流れ込んで飲み込む危機的状況だったのだ。

 その流れ込みを防ぐ行為、「私」と「あたし」を切り離したままにしておくこと、それが「箱のフタをしめる」ことだった。したがって、紫杏のグッドエンドは、「私」が「あたし」を飲み込まなかったように、「あたし」が「私」を飲み込む物語ではない。すなわち、紫杏が矛盾を解消して一貫した自己を獲得する物語ではない。矛盾を矛盾として、不整合を不整合として、そのまま受け入れられるようになる物語なのだ。

 それは、世界の矛盾を一身に受け止めて、自分一人でなんとかしようをすることを諦めるということでもある。まずは紫杏が一人で抱え込むようになるに至った経緯が垣間見える幼少期のエピソードを見よう。

「へえ、こどもにしか見えないんだ。……じゃあ、あたしが見れなくても ま、しかたないか。」

「どうして、そんなにモモの木のせいれいに会いたいの?」

「だって、見たままのせかいだったらつまんないじゃない。でも、ふしぎなものがいるんだったらすこしはキタイしてもいいでしょ。……でも、これではっきりした。」

「なにが?」

「このせかいは、つまんない。まじめな人がバカを見てわるいやつらがのさばってる。だから、あたしがなんとかしなくちゃ。」

 正史の紫杏は「(心残りは……精霊…………ひと目……だけでも……会いたかった……な……)」と思い残して死んでいく。彼女にとって超常的な存在とは、彼女が達観してしまった合理的説明の行き届いた世界を覆してくれる希望なのだ。世界が合理的である限り、世界を信じることが出来ないという逆説が紫杏の中にある。

 自分が見た通りの世界であるならば、自分が何かしない限り、世界は変わることはない。自分でなんとかするしかない。このように凝り固まってしまっていた彼女のあり様を、10主は解きほぐすことに成功した。

 それまでの彼女の世界とは、世界の主役は自分であり、自分の認識に沿って世界は整序され、自分のみによって世界は良くなったり悪くなったりする。部下に仕事を任せても、本当に仕事を手放したわけではない。何故なら、出力される結果は予見した範囲から出ることがないからだ。彼女に必要だったのは、世界の少なくとも一部を、自分のもとから手放すこと、つまりは予見不可能な結果に、すなわち偶発性に身を乗り出すことだった。

 10主の選手生命がどうなるか、もはやわからない。父(=自分)の積み上げてきたものが失われ、否定されたとき、自分は何を指針として生きていけばいいか、もはやわからない。それでもいいという確信を得たこと。それが彼女を破局から救い出す鍵だった。

 パワポケ11のアルバムにて、「子供のときから大人だったのではなく、結局、彼女は最期までずっとまじめな子供だったのだ。」と紫杏は総括される。ここに言う「子どもであること」とは、①自分が世界の中心であるという認識、②世界の矛盾・不合理を受け入れられていないこと、のみを指しているのではない。③親とは異なった内面=価値観を獲得出来ていないこともまた含んでいる。つまり、父による呪いの解呪とは親離れでもあった。

 父と同じくらい大切な人、大切にしてくれる人に出会うことで、彼女はもう一人の「あたし」を自分の中から切り出すことに成功した。それによって、複雑な世界を受け入れる複雑な私を獲得することが出来るようになった。ジャジメントのヘリにしてみせた「あかんべー」という不相応に子どもじみた行為(ジャジメントに対するリスクを伴う無作法な返答、父と10主に対する一度は引き受けた責任を放棄する決断)は、彼女の成熟を示すものであった。

まとめ

 神条紫杏とは何者だったのか。主人公と恋仲になる「強気ツンデレハイスペックキャラクター」の一つの到達点だと思う。彼女たちは主人公に承認されることによって救われる。アスカというキャラクターは、内面の渇望を極大化して、病理として描き出されることによって、比類なきキャラクター強度を獲得するに至った。以降、彼女によく似たキャラクターが現れても、彼女に匹敵する強度を持ったキャラクターは出てこなかった。

 そのような文脈の中で、僕にとっては、紫杏こそがアスカに匹敵する強度を持ったキャラクターなのである。彼女は常人離れした器を持った大人物である。それ故、彼女の抱える内面的問題は、内面的破局をもたらなさい*7破局とは、彼女の志半ばでの死か、世界規模での破滅としてしか現れてこない。

 確かに10主を守るために彼に別れを告げたシーンにおいて紫杏は「(…そうだ、これでいい。私には誰も必要じゃないんだ。)」と独白した。しかし、「必要とされること」だけで、彼女は救われるわけではない。彼女が直面する内面的問題のうち、承認の問題が占める割合はそれほど大きくない。これまで見てきたような込み入った「謎」が彼女の中にはあるのだ。

 彼女は逆説に満ちた人物である(生身の人間もまた逆説に満ちている)。それこそが彼女の魅力だ。すでにいくつかの逆説について、明示的であれ示唆的であれ触れてきた。最後にもう一つだけ彼女の逆説に言及しよう。あらゆる他者を理解し、誰からも理解されない複雑な内面を持つに至った彼女は、大人ではなくたった一つの価値観に基づき行動する子どもなのであった。

*1:親切高校の真実について紫杏は下記の様に言う。

「反抗的な生徒への、従順にする薬の投与を行っていたらしい。」(中略)「あまりのバカバカしさにやる気をなくした。私が必死に守ってきたことなんかここの飲料水にまぜたわずかな薬で代用できるんだ。」

ここで彼女は、地道な努力を嘲笑うかのような、超法規的で即物的な力を行使する巨悪の存在を知る。

*2:むろん、危険な可能性がある限り紫杏は突っぱねることは出来ないだろうが。

*3:別の場面で紫杏は「…………。努力した人間が報われない世の中はまちがっている。」とつぶやいている。ところで、西川さんは好きなキャラクターによう子先生を挙げ、理由として「まじめで努力家で、結局報われないよい人。でも、世の中をうらんでない」からと答えた。くわえて、出門鹿男のプロフィールにおいて前述のように「残念ながら、今の世の中ではあまり報われることのないタイプである。」と記載がある(ほぼほぼこれは西川さんの記述だろう)。

*4:父が同じ立場に置かれたら、おそらく紫杏と同じ決断を下したのではないだろうか。

*5:当該エピソードを語る直前に、彼女の父が彼女について「あいかわらず堅苦しいことだ。双葉より芳しと言うが、まったく誰の影響を受けたものやら。」と言ったことにも注意したい。

*6:例えば、「私に従うな」という命令を考えてみるとよい。

*7:ジャジメント総帥を殺害し、世界の覇者に躍り出るシーンにおいての総帥との会話が象徴的である。

「ところで、君は本当は誰なんだね?」
「私が思うに、それはあまり重要な問題ではないと思います。なさねばならぬことと比べて。」