パワポケ考察⑩ カタストロフとは何だったのか(前編)

7 本論その5:フィクションあるいは願いが持つ力 ――ままならない現実を抱きしめて

人の心あるいは願いが持っている二面性

前回は坂田博士の述懐を引用し、シナリオライターやプレイヤーである我々が起伏ある物語を望むが故に、パワポケシリーズ正史で報われない「哀しい女」たちは作り出されたことを見た。そして、ライターはこのことに自覚的であり、坂田博士の述懐を通して自己言及していることも見た。この場合に限らず、パワポケシリーズは一貫して物語が望まれ・生まれる構造について自覚的であった。プレイヤーである我々の水準から見るならば、現実が退屈であるからフィクションにおいてドラマを望む。ゲーム中の登場人物たちの水準から見るならば、彼らの日常が退屈であるから非日常を望む。その願いが物語を生むのだが、同時にその願いこそが喜びだけでなく悲しみもまたもたらすことを本作品はずっと示してきた。強い願いは現状を打破する原動力たりえるが、同時に呪いともなりうるということだ。その端的な例がパワポケ11で登場するランプの魔人である。物語冒頭で主人公は魔人から3つの願いを叶えると言われ、①一年目で一軍入り、②二年目で年俸五千万、③三年目でリーグ優勝を願う。しかしその願いは魔人によって叶えられることはなく、逆に自力でこれらの願いを叶えられなければ死亡するという呪いをかけられてしまう。

もう一つ例を見よう。パワポケ4において主人公はある人物により甲子園出場ができなければ神隠しにあう呪いをかけられる。この呪いの真相とは、ある老婆の願いが起こしたものであった。かつて恋仲にあったものの戦死した野球選手の無念を、その選手にそっくりな主人公に晴らしてもらおうという願いが、呪いを引き起こしたのである。彼女の甲子園出場への想いはすさまじく、主人公が快進撃を続ける中で日に日に衰弱していくが、「今が命の使い時なんじゃよ」と言って願掛けをやめようとせず、主人公が甲子園を制覇するのを見届けた直後に死んでしまう。このエピソードでは、強い願いが持つ世界を変える力と強い願いが呪いと紙一重であることを示している。また、この呪いのすべての真相が判明するルートの後日談では、願いを持つ主体である人の心の二面性が言及される。

「人の心の闇は、呪いなんかよりもずっと怖くて不思議だけど、人の心の良い部分も同じ所から来ているような気がする。つまり、人の心の説明できない非論理的で、不完全な部分から。 そして、人は心が完全じゃないからささえ合い、助け合って生きていくのだろう」

人は機械でない。心がある。自分の置かれた状況に対し怒ったり悲しんだりする。また人は動物でもない。だから今置かれた状況とは異なる状況を想像することができる。①自らの置かれた状況を相対化し、②まだ生じていない状況を想像し、③そこへ向かっていくことができる。さらに、人間は神ではないため完全ではない。完全でないからこそ欠けた部分を不満に思い、それを埋めることを願う。願うこと。願いに基づいて世界に働きかけて変えていくこと。これらは人間の本質である。

科学の力が持つ二面性

もちろん願うだけでは世界を変えることはできない。願いはあくまで駆動力であって手段を必要とする。上であげたように、パワポケシリーズにおいて超常的な力(以後、「魔術」と総称する)は、願いが世界に働きかけるための重要な手段であった(なお、作中で登場する具現化という概念は願いが現実に影響を及ぼすという直截的な表現である)。同時に、科学もまた魔術と同程度に本シリーズでは様々な人の願いを乗せて世界を変える手段であった。本シリーズでは何人もの科学者たちが登場し、彼らはめいめいの科学観を語る。いくつか見てみよう。まずは不治かつ進行性の病に侵され自身が生き延びるために研究に取り組む寺岡。

寺岡「自分が思うに、宗教は『すがる』しかできないんですよ。 起った事は、あきらめるか受け入れることしかできないんです。科学は、自分で前進させられるんです。科学は、あきらめることを否定できるんですよ!」

あるいは、自らを悪の科学者と称する黒野博士。

黒野博士「ワシにとって、悪はロマンなんじゃよ。ロマン。わかるか?ルールにとらわれないことじゃ!希望、生命力、突破点、新しいもの。幸せになりたいという欲望!昔は、”科学”も”自由”も”人権”も”平等”もみーんな”世の中の平和をみだす悪”じゃったんじゃよ」

作中では繰り返し科学は運命や世界を変える力を持つことが語られる。事実、作中において科学技術は物語を大きく左右する。例えば、悪の組織プロペラ団を経て世界的なコングロマリットであるオオガミグループに継承された科学技術は、世界の覇権を争うことまでも可能にする。また、上述の寺岡が偶然開発したワギリバッテリーは世界のエネルギー事情に決定的な変革をもたらし、皮肉にもそのことが世界に混乱をもたらすことになる。人の心に二面性があるように、科学にも二面性があることがここで示されている。

条理を覆すために魔術を望んだ紫杏

これまでに見てきたように、科学には大きな力がある。けれども、条理までもを覆す力はない。条理を覆す力を望むとき、人は科学を超えた存在、すなわち本文中に言う魔術の存在を願うこととなる。神条紫杏と主人公との会話を見てみよう。

主人公「なあ、今なにか願い事がかなうとしたら、何がいい?」

紫杏「そうだな…私は幽霊に会いたい」

主人公「幽霊?!実はオカルトが好きなのか?」

紫杏「いいや、そうではない。まだ科学で明らかになっていない現象を目にしてみたいのだ」

主人公「幽霊って非科学的なんじゃないのか」

紫杏「別に不思議なことではない。たとえば、高名な多くの科学者は同時に強い信仰心をもっていた」

主人公「へえ?」

紫杏「科学とは論理と検証の積み重ね。だから科学の探究と神の存在はなんら矛盾しないのだ。いや、むしろ論理を追えば追うほど神の存在を、感じざるを得ない…のかもしれない」

主人公「最後の方は自信なさそうだな。それに、幽霊の話だったはずだけど?」

紫杏「幽霊を見たいのはな…私は『永遠』というものが存在して欲しいからだ」

主人公「なんだって?」

紫杏「もし幽霊が存在するなら、この世に永遠に残るものがあるかもしれない。…そうでなければ、誰も救われないから」

紫杏は現実と戦い続けた人物だった。現実は理不尽で厳しい。理想を持ちながら長年正しい方法で頑張り続けた彼女の父はついに報われなかった。そして、考察⑦で見たように、彼女は環境や人に恵まれなかった芦沼に自分を重ね、長年頑張りながら日の当たる舞台とは無縁だった狩村に自分の父を重ねた。狩村がついに報われないまま引退するセレモニーを見届ける際に紫杏がつぶやいた言葉は、彼女の強い想いあるいは願いが込められている。

紫杏「…………。努力した人間が報われない世の中はまちがっている」

この想い、この願いこそが彼女を強く駆り立ててきた。パワポケ11のラストで狙撃を受け、息を引き取る寸前に彼女の頭をよぎったのは、幼き日に耳にした精霊のことだった。一目精霊を目にしたかった。そう思い残しながら彼女を死んでいく。後日談では子ども時代の回想が明かされる。

紫杏「へえ、こどもにしか見えないんだ。…じゃあ、あたしが見れなくてもま、しかたないか」

桃の精「どうして、そんなにモモの木のせいれいに会いたいの?」

紫杏「だって、見たままのせかいだったらつまんないじゃない。でも、ふしぎなものがいるんだったらすこしはキタイしてもいいでしょ。…でも、これではっきりした」

桃の精「なにが?」

紫杏「このせかいは、つまんない。まじめな人がバカを見てわるいやつらがのさばってる。だから、あたしがなんとかしなくちゃ。じゃあね、モモコちゃん。家がとおいから、もうあえないかもしれないけど、たのしかったよ」

桃の精「わらわが、その桃の木の精霊なんじゃがなぁ…」

ナレーション「それは幼き日の小さなすれちがい。子供のときから大人だったのではなく結局、彼女は最期までずっとまじめな子供だったのだ」

彼女は超常的なものの存在を願いながらもそれにとうとう出会えなかった。よって、彼女に報いてくれる存在は現れなかった。だからこそ彼女は他者に報いる存在に、自分がなろうとした。「まじめな人がバカを見る」のは悲しいことに世の常だ。それを覆すこととは条理を覆すことにほかならない。そのためには大きな力が要った。大きな力を得るために彼女は「正しくないこと」に手を染める。こうして願いは世界にゆがみをもたらす。そのゆがみこそが物語となる。

物語が困難を要請する

物語の最も単純な形式は「困難とその克服」である。そして、意志(願い)の力が克服の原動力となる。ここからも明らかなように、物語が困難を要請する。そして、我々の人生において、適度な困難は生きるはりあいでもある。このマッチポンプのような構造についても、本シリーズは自覚的であった。世界中の反政府組織に武器をばらまき、人体実験を行う組織に属するヘルガという人物と主人公との会話を見よう。

ヘルガ「…まあ、貴様になら話してみても良いだろう。BB団の目的は、人類を救うことだ」

主人公「はぁ?」

ヘルガ「お前は気づいていないかもしれないが、今、人類は危機に直面している。文明と科学の進歩がまねいたことだ」

主人公「具体的にどういう危機なんだい?核爆弾か?汚染か?電磁波だとでも?」

ヘルガ「それは、滅亡にいたる方法にすぎん。われらが問題にするのは、動機の方だ」

主人公「動機だって?」

ヘルガ「疫病、飢餓、戦争…こういったものは、たしかに存在し今でも大きな問題ではある。だが、それはほんの10年前と比べてもどんどん改善されている。いずれ、人間をおびやかす外的な要因は弱まり、無視できるようになるだろう」

主人公「けっこうなことじゃないか」

ヘルガ「そして、人類は直面することになる。己自身の闇に、な」

主人公「何を言って…」

ヘルガ「生きるのが困難で忙しいうちは良い。あまり、それを考えなくてすむからな。克服すべき障害、戦うべき敵を失った時誰もが冷酷な真実に気づくのだ」

主人公「…..」

ヘルガ「そう、もはやこの世界に未来を託すべき希望、夢も神秘も残されてはいない。もし、この世界から解決すべき問題がなくなってしまったらそこには絶望しか残っていないのだ!」

主人公「なんてことだ…まさか、君たちは?」

ヘルガ「そうだ!人類には敵が必要なのだ。憎み、戦い、打ち倒す。自分たちが不幸であることの言い訳となってくれるものが」

主人公「バカな!そのために世界中の犯罪者とテロを援助しているのか?それは単に不幸な人を増やすだけだ!」

ヘルガ「その苦しみが1つ終わった時、それ以上の人間が希望を得るさ。これで幸せになれる、とな。悲劇と絶望なくして希望のタネは育たんのだ!」

主人公「くっ!」

ヘルガ「まあ、よく考えるのだな。そうすれば、理解できるはずだ」

主人公「…………。それは間違っている、きっと」

ヘルガは紫杏と同様に、自らが手を汚すことによって世界を救おうとした。超常的な存在に自らの願いを乗せなかったところも共通している。超常的な存在をどこかで期待し続けていた紫杏に対し、ヘルガは超常的なものの存在をそもそも期待しない。物語を好んで読む彼女はこのように言う。

ヘルガ「世界に神秘は個人の手が届かないところにしか残っていない、作り話に救いを求めて何が悪い」

紫杏の後継者ジオットあるいは魔術を手にした紫杏の再来であるジオット

ヘルガも紫杏も超常的な存在に頼ることを断念して、世界を変えるために自らの手を汚す。そして道半ばで死んでいく。一方で、本シリーズでは超常的な存在=魔術によって自らの願いを叶えようとした、ひいては世界を変えようとした人物がいる。本シリーズ最後にして最強の悪役、ジオット・セヴェルスである。本シリーズには悪の組織が入れ替わり登場する。ジオットの立ち位置を理解するために、悪の組織の系譜を見てみよう。まずはじめにスポーツ利権をむさぼるプロペラ団が登場する。そして、プロペラ団崩壊後、幹部の一人がプロペラ団の主要部分と組織が蓄積した人体改造技術を吸収して作り出したのがオオガミグループである。それに対抗するのが、世界資産の12%を保有し超能力者を多く抱える組織のジャジメントである。紫杏はジャジメントを乗っ取り、オオガミと合併する。そしてできた組織がツナミグループだ。紫杏の死後、頭角を現して最終的にトップの座につくのが、元々ジャジメントの幹部だったジオットである。要するに、ジオットは紫杏の後継者に位置する。紫杏とジオットには共通点がある。彼らは唯一の肉親を殺され、後に大きな力を手にして復讐を果たしている。彼らはどのようにのし上がったのか。紫杏は暗殺されたオオガミグループの社長の記憶を脳に取り込むことで、二十歳そこそこながら海千山千の大人たちと渡り合うことができた。つまり、科学の力が背景にある。では、ジオットはどうだったのか。彼の妹は世界有数の財閥の娘に心臓移植するために殺された。妹の復讐のために、最愛の妻を生贄に捧げ、エアレイドという悪霊(彼女は人間の願いと恐怖の結晶として具現化した存在である)を味方につけた。この力をもって彼は闇社会をのし上がってきたのである。つまり、彼が頼ったのは魔術だった。紫杏は超常的な存在を目にすることを最期まで望みながら死んでいった。闇社会における紫杏の後継者たるジオットとは、「魔術と出会うことができた紫杏」にほかならない。

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パワプロクンポケット10

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  • 発売日: 2007/12/06
  • メディア: Video Game