パワポケ考察⑪ カタストロフとは何だったのか(後編)

物語発生装置としての具現化

ここで少し回り道をしようと思う。本文中で魔術と総称している超常的な存在のうち、本シリーズで最も重要なものの話をしたい。それは具現化という概念だ。具現化とは人間の強い願いが現実化したものだ。パワポケ7において、この具現化はメインストーリーとして現れる。主人公が子どものころに思い描いた戦隊もののヒーローが、主人公含めた野球部員たちの「試合に勝ちたい」という願いを受けて現実化し、主人公たちの助っ人として試合で活躍するようになる。しかし、願いとは漠然とした形をとることも多い。主人公は「試合に勝つこと」を願ったが、自分が試合に参加して勝つことを必ずしも願ったわけではなかった。その結果、主人公ら元いた部員たちはレギュラーから外され、スタメンはヒーローたちが占めることとなる。要するに、ヒーローたちにチームを乗っ取られた形となる。ヒーローたちに試合を申し込み、勝利することでチームを取り戻すというのが物語の本筋である。

興味深いことに、ここでも人々がそう望むがゆえに発生するマッチポンプという構図が描写されている。第一に、主人公は勝ちたいという願いから意図せずヒーローたちを生み出し、彼らがもたらした逆境下において奮起することで実力をつけ、正史上では甲子園を制覇するほどの力をつける。これはストーリーの水準でのマッチポンプだ。第二に、戦隊ものヒーローの見た目で生まれてきたヒーローたちは、その見た目から正義と戦うことを人々に望まれるがゆえに、悪と戦うことになる。しかし、悪あるいは敵など日常を生きる人々の周りには存在しない。そのため、ヒーローたちは自ら悪役を生み出し、それらと戦うという茶番を演じる。それでもここでは商店街の福引を盗む程度の悪事に過ぎない。ところが、より大きなドラマを期待する周りの人々の何気ない感想を聞いて、ヒーローたちは銀行強盗やダム爆破のような大事件を画策するようになってしまう(彼らは自分たちが何のために存在するのかを自ら導くことができない。そのため周りの人々に左右される。ヒーローたちの装束の中身ががらんどうで中に何も入っていないという設定は、彼らという存在がからっぽであることを象徴している)。こちらは、物語の中の人々の水準でのマッチポンプだ。誰かの願いが現実世界で創作を通じて物語となるように、作中でも願いが具現化を通じて事件となる。どちらにしても、物語・事件の前に願いがある。このような構造にパワポケ7は自覚的であった。

なお、主人公たちに敗北したヒーローたちは続編にも登場する。リーダー格だったレッドは、人間の姿を得てなんとパワポケ9で主人公として再登場する(9の主人公がレッドだとは明言されていないが様々な状況証拠から限りなくクロに近いグレー)。彼は風来坊に身をやつし、たまたま行き着いた商店街が大手スーパーマーケットから圧力を受けていることを知り、商店街の草野球チームに加勢する(彼は助っ人を集めてチームを強くしていく代わりに元々のメンバーの存在価値を相対的に小さくしていった。すなわち、パワポケ7の助っ人側から見た反復である。向こう側から物事を見ること、そしてテーマの反復は本シリーズ頻出である)。

レッド=9の主人公は何故変身ヒーローをやめたのか。彼の中でどのような心境の変化があったのか。それはパワポケ14で彼が再登場した際に14主人公との会話で明かされる。

レッド「…いや。変身ヒーローはやめたんだ」

主人公「どうして?」

レッド「素顔のままで、手のとどく人だけを助ける方が大事だと思ったからさ。この姿(筆者注:ヒーローの姿)だと、どうしても戦うことを期待する人が多いしね」

主人公「ふうん,,,戦っちゃダメなの?」

レッド「ははは、相手がいないだろう」

ヒーローが戦うに値する「悪」など現実には存在しない。ヒーローがやるべきことは、現実を少しでも良くするために目の前の人々に手を差し伸べることだ。レッドはそう信じていた。しかし、そう遠くない未来に彼はヒーローとして巨悪と戦う運命にある。ここでの巨悪とは具現化したエアレイドを味方につけたジオットのことだ。そして、ジオットは更なる具現化を進め、世界に破局をもたらそうとする。

「カタストロフ」と最終決戦

ジオット一派とこれまで登場してきた様々なキャラクターたちとの最終決戦が本シリーズのラストとなる。ジオットはドリームマシンという装置によって「カタストロフ」を引き起こそうとする。「カタストロフ」とは何か。マナという具現化の確立を上昇させる物資を用いて、世界中の具現化の確立をはね上げることである。ジオットはフィクションを現実にとってかえようとしているわけだ。

ジオット「この先の世界では誰も、くだらない現実でガマンしなくていいんだ。何かを願う、ただそれだけでいい」    

しかし、これまで見たように、願いは幸せをもたらすだけではない。世界中で異変が起こるのを目の当たりにしながら、レッドとジオットは相対する。

(東京には巨大なトカゲの怪物、アリゾナには宇宙人、モスクワには吸血鬼が出現したようです。その他、世界各地でモンスターの目撃情報が続いています!)

レッド「…人間の創造するものなんて良いものばかりじゃない。いいや、不安や恐怖こそ形になりやすいものなんだ。いま世界中で起こっていることを見てみろ!ありえない怪物や魔物たちがいくらでも出現することになる。世界中が戦場になるんだぞ!」

ジオット「別にかまわないだろ?弱いやつなんてみんな死ねばいい。生き残る人間は本当に強い者だけでいいんだ。豊かな家族や国に生まれただけでクズが幸福な人生を送り、そうじゃない子供は、空腹や寒さでふるえているような世界こそがそもそもまちがいなんだ。幸福とは、その人間の能力だけで得られるべきなんだ!」

レッド「弱い者には生きている価値がないというのか?」

ジオット「まさに、そのとおり!」

レッド「たとえば…キミの妹さんのように?」

ジオット「………………………….…………….。それは強い者が守るんだ」

レッド「ならば、私も弱い者を守ろう」

こうしてレッドはヒーローとして、今度は真のヒーローとして、巨悪と戦う。

「カタストロフ」の顛末あるいはままならない現実の苦味

しかし、二人の決着を待つまでもなく、ジオットが引き起こした世界改変の試みはある結末を迎える。

(マナ濃度が世界中で急速に低下!人類がフィクションに対して強い拒否反応を起こしています!)

ジオット「そんなバカな!なぜマナが下がっている!?」

レッド「世界中のほとんどの人間が、現実のことだとは感じていないんだ。だから、フィクションが倒されて日常が戻ってくる結末を期待する」

ジオット「………なに?」

レッド「モニター越しに見ている限り、戦争も災害も事故も悲劇も自分たちの問題としてはとらえられないんだよ。これまでもそうだったように、遠い世界の『他人ごと』だ」

ジオット「…そ、そうか…なんてことだ…やつらがそういう連中だってことはわかっていたはずなのに」

(東京の怪獣が消滅。各地のゲートが閉じつつあります!)

ジオット「なぜ、想像しようとしない…苦しみを共有しようとしない!」

レッド「………」

ジオット「…文字通り、現実に負けた、か。うまくいくと思ったのになあ」

レッド「急ぎすぎたんだよ、あんたは。世の中がそんなに簡単に変わるわけがない。たとえ時間がかかっても一歩ずつ変えていくしかないんだ」

一足飛びに物事が良くなることはないことを本シリーズは様々な切り口で繰り返し言及している。いくつか例をあげてみよう。

6裏主人公「金で愛情を買っちゃだめだ。一時はちやほやされても、金がなくなったら、金で集めた連中は離れていくぞ。他人に好かれたかったら、行動で積み重ねるしかないんだよ」

大村長官「だれかが守ってくれる平和など正しいものではなかったのだろう。 結局、我々みんなが苦労して、平和を守らねばならんのだ」

あるいは、会社を破滅させようと社長のドラ息子に対してなされる副社長曽根村による悪魔のささやき。

曽根村「社長。ここは男らしく、『攻め』の姿勢で戦うべきです!私も、協力しますよ」

カケル(「男らしく」か…そうすれば弓子も…)

カケル「よし、たのんだぞ曽根村!」

曽根村「はい、おまかせください。……」

曽根村(金のない時のギャンブルは失敗するものですよ。世間知らずのカケル社長)

そして何より、レッド本人もまたこのいかんともしがたい現実の苦さを味わっているのだ。パワポケ14で再登場したレッドは、パワポケ9にて大手スーパーに立ち向かったあの街を再び訪れる。そして、シャッター街となった商店街を目の当たりにして立ち尽くす。

レッド「………。10年前、たしかにオレたちは勝った。正義の味方が悪者をやっつけて問題がすべて解決するのなら、この世はもっと住みやすくなっているのにな」

商店街がさびれたのは大手スーパーが原因ではない。ネットショッピングの発達という時代の流れがもたらした必然的な結果だったと作中では解説が入る。何かをすればすべてが良くなることも、幸福を阻害する何かを除けばたちどころに何もかもが上手くいくこともない。それでも人は耐え難い現実から一足飛びに救われることをときに望まずにはいられない。レッドとジオットの会話に戻ろう。

ジオット「その『現実』がイヤだったんだよ!…おい、どこへ行く?」

レッド「カタストロフは終わった。ヒーローの出番は、なしだ」

ジオット「また、やるかもしれないぞ。悪いヤツを倒して行けよ」

レッド「ありえない存在だからこそわかることもある。むりやり引き上げられていたマナは反動で、しばらく低水準になる。カタストロフは、もう来ない」

(スタスタ…)

ジオット「………。うまくいくと思ったのになぁ」

(ピシッ)

ジオット「…ここにゲートだと!?なるほど…来いってわけか」

最後にして最大・最強の悪役だったジオットは報いを受けない。現実の向こう側、すなわちフィクションの世界へと行ってしまう。そして、そのフィクション世界が、これまでの裏サクセスの舞台であるパラレルワールドだったことが明らかになる。つまり、スターシステムに基づき表サクセスのキャラクターたちが別人として登場する裏サクセスとは、表サクセス世界のフィクション=虚構内虚構だったのである。

エヴァのオマージュとしての「カタストロフ」

もう少しだけジオットと具現化について考えよう。何故ジオットは「カタストロフ」を起こそうとしたのか。本人の弁を一見すると強者だけが生き残る世界あるいは人間の能力のみに応じて幸福度が定まる世界を実現しようとしたように見える。しかし、先述のレッドとジオットの会話をよく読むと、ジオットの発言は売り言葉に買い言葉であったようにも思われる。ジオット本人はこれ以上の動機を語ってはいないが、筆者は他に真意があったのだと思っている。いくつかの補助線を引いて考えてみたい。まず、先ほども取り上げた元傭兵であるヘルガの言葉。

ヘルガ「最初に貸した本を覚えているか?私はあの話が嫌いだ。死んだはずのヒロインが、あっさりと結末で蘇るからな。...死は絶対だ。安易に打ち消されるようなものであってはならない」

死んだ人間は戻ってこない。言うなればこれは条理である。この条理をこそジオットは覆そうとしたのではないか。死んでいった部下たち、殺された妹、そして何より最愛の妻にもう一度会うために。幽霊に出会えなかったため、紫杏は肉親の死に対して復讐しかできなかったが、ジオットは具現化の力を手にすることで、復讐のより一歩先を望むことが可能だった。そのことをうかがわせる状況証拠がある。14裏サクセスの世界に飛ばされたジオットの描写がある。元いた表サクセスの世界とは異なり、超常的な現象が日常的に発生する裏サクセスの世界を目の当たりにしたジオットの心の中の声を見てほしい。

ジオット(しばらく退屈せずにすみそうだ。…妻に会うのは、もうしばらく先でいいか)

この言葉には二通りの解釈がある。一つはジオットが死ぬことによって妻に会うというもの。もう一つはフィクション世界で妻に会うというもの。僕は後者の説をとる。何故なら、①死後の世界があるか、死んだ後望みの人物に会えるか保証がなく、保証がないことをジオットがアテにしているとは考えにくいから。②「カタストロフ」で具現化確率がはね上がった際、一度死んだ人間が生き返る描写があるから。③裏サクセスの世界では表サクセスで死んだ人物が再登場しているから。以上のように、具現化の力で妻と出会える可能性は十二分にあることから、ジオットが「カタストロフ」を起こした真の目的は、妻にもう一度会うためだったと僕は考える。生贄に捧げた妻が懐妊していたことを一番の腹心であるマーカスにすら最後まで打ち明けなかったように、本当にジオットが大事だと思う事柄については誰にも明かさなかったのだと思われる。だから、作中で彼は真意を語らず、内心の声によってのみ真意は語られるというわけだ。そして、このように解釈すると、ジオットの「カタストロフ」とはエヴァ人類補完計画のオマージュであったように思えてくる。

ドリームマシンに込められた最後のメッセージ

誰かの願いが現実世界で創作を通じて物語となるように、作中でも願いが具現化を通じて事件となる。この二重構造をもう一度思い出そう。そうすることで、ドリームマシンに込められた作者の最後のメッセージが読み取れるようになる。2021年のパワプロアプリでのパワポケコラボを機縁としたインタビューで、制作陣はこのように語っている。

西川「本当は、シナリオ的にももっと最後っぽくバーンとクライマックスを迎えて後味よく終わりたかったんですけど、『シリーズの最後になるかどうかは、お前らが決めることじゃない』と偉い人に怒られたんですよ(笑)。ですから、ゲーム中では最後とは明言していないんですよね。でも、遊んだ人は、散りばめらたメッセージから汲み取っていたんじゃないでしょうか」

――開発時に『パワポケ14』が最後になるというのは、その制作開始時点で決まっていたのですか?

西川「シリーズが一度終わりになることは決まっていました。そして、もう一回再建することもおそらく難しいだろうなという共通認識もあったので、『ジタバタするよりは潔く』といった気持ちでしたね」

――木村さんは当時プレイヤーとして、最後という雰囲気は感じていましたか?

木村「プレイヤーとしても『どうやら最後っぽいな』とは感じていました。たしか『これでいったんお話は終わりです』といったメッセージがあったんですよね。もしかしたら新章が始まるかも?という期待をしていたんですけど、実際はありませんでした(笑)」

萩原「『もしかしたら……』という希望は、開発側も完全に捨てたわけではなかったんですけどね」

パワポケシリーズは終わってしまったし、再建も難しいけれども、それでももしかしたらいつか復活するかもしれない。そんな想いはパワポケ14ラストにおけるジオット残党たちの後日談に込められている。

「まさか、ドリームマシンがこんなところにもあったとはね」「念のためにもう一台だけドリームマシンは隠してあったの。ジオット様がいなくなったことでこれを追う者はいないわ」「これをひそかに動かし続けるわけか。それだと、世界をマナで満たすのにずいぶん時間がかかりそうだね?」「でも、一度は成功しかけたのよ。現実に対する失望が広がれば、次こそは成功するわ。これが世界最後の『希望』なのよ」「シシシシシッ!まあ仲間の数はヘッタガ、これからも仲よくヤロウゼ!」ナレーション「ギリシャ神話によると、パンドラはあやまって箱を開けてしまい、この世界にありとあらゆるわざわいを解き放ったという。悲しむ彼女を、最後に箱から出てきた『希望』がなぐさめた。しかし、この『希望』こそが...箱の中に封じられていた、一番おそろしいわざわいではなかったか、という説もある...」

再度の具現化世界の実現を望むジオットの残党とは制作陣(とプレイヤーである我々)にほかならない。そして、残されたドリームマシンとは新たな物語の種である。シリーズ完結から10年近くの時がたち、ある程度マナがたまったことによりコラボという形で少しだけパワポケは復活した。かつてプレイヤーだった残党たちは今も本当の復活のときを待ちわびている。

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パワプロクンポケット11

パワプロクンポケット11

  • 発売日: 2008/12/18
  • メディア: Video Game