「スパイダーマンって蜘蛛だって知ってた?」――因果は巡り、そして父になる

是枝監督作『そして父になる』は極めてロジカルな物語だ。登場人物の心情や行動一つ一つに必ず意味と理由が込められている。誰かが思い行動したことが、他の誰かにつながっている。それを解きほぐしていきたい。

言うまでもなく、本作は主人公たる福山雅治演じる良多が「父」となる物語である。良多は作中で自身のスタンスについていくつかの変遷を遂げる。子の入れ違いが発覚した当初、彼は自身の父としての能力あるいはあり方に疑いを持っていなかった。お受験にせよピアノ教室にせよ、はたまた住居であるタワーマンションにせよ、子どもにとって最良の環境を用意できるという自負を彼は持っていたためだ。そして、のっけから賠償金の心配をした斎木家を、特にストローを父子ともに噛む育ちの悪さを見せる斎木家の父雄大を軽蔑すらした。自己の父としての能力に対する自負と相手方への軽蔑から、良多は自らが育てた慶多だけでなく斎木家で育った琉晴までも引き取ろうと画策する。ここにおいては、親子のつながりの本質が「血」か「過ごした時間」かはまだ問題とはならない。

子どもたちの両家庭への行き来が重なるにつれ、良多の父としての自負は揺るがされていく。慶多は今度の斎木家へのお泊りでおもちゃを雄大に直してもらうと言う。雄大に懐いた慶多に良多は思わず「じゃあ、あの壊れたヒーターも直してもらおうか」と口走る。自身は仕事で泊まりに来ていた琉晴と遊ぶことが出来ず、琉晴には懐かれず早く帰りたそうにしていたことを知っていたからだ。そして父の日に送るバラの事件である。慶多は良多だけでなく、雄大の分のバラも作っていた。「これはおじちゃんの分」と無邪気に言う慶多を前に、良多は立ちつくし「(自分に似ず)慶多は本当に優しいんだな」と言うことしか出来ない。そのとき良多は、(慶多の父、良多にとっては父の父である)良輔の「最後は血だよ」という言葉を思い出していたのかもしれない。良輔の言葉は、(慶多にとって母の母にあたる樹木希林演じる)里子が「過ごした時間が大事」と言ったこと、あるいは斎木家の母ゆかりが良多に「日に日に自分と違っていく子を育てていくことが出来るか」と問われ、「もちろん出来る」と即答したことと対称をなしている。なおこの場面でゆかりは「男は子どもとのつながりを確信できないからそのように問うのだ」とも言っている。このシーンはミスリーディングだ。本当は男女の問題ではない。何故なら雄大はこのようなことは決して言わないからだ。本当の問題は子どもと過ごした時間である。雄大は良多にかつて「もっと子どもといてやってくれ」とたしなめた。説教をされたと思った良多は嫌味たらしく「僕には僕にしか出来ない仕事があるんです」と返す。さらにそれに雄大は「父親かて、取り換えのきかん仕事やろ。子どもは一緒に過ごした時間だよ」と言う。良多にとって子育てとは、「どのような教育を施し、どのような環境を与えるか」であった。子どもにとって必要なものは上記のような「教育と環境」だけではなく、「子どもと共に過ごすこと」であることが、本作ではくり返し示される。

琉晴が懐かず慶多が斎木家に懐いてしまったこと、斎木家に憤りをもって琉晴引き取りを拒絶されたことから、良多の子ども両方引き取りの計画は頓挫する。自分と似ても似つかない慶多を諦め、琉晴を引き取ることを決意する。ここには自身の父としての万能感を諦めるとともに、良多の父良輔の「最後は血だ」という考えを重視したものとも理解される。今後は斎木家を父母と思うよう慶多に伝える良多。相変わらず慶多は聞き分けがいい。拒否どころか嫌がる素振りも見えない。自分で決めたことながら慶多ともう二度と会えなくなることについて胸が締め付けられる思いがする。一方で、琉晴は恐ろしく聞き分けが悪い。パパとはどうしても呼んでくれない。それどころか、「パパ」「ママ」と添えた斎木家の両親の似顔絵まで書く始末である。良多は「父であること」を取り換えの効くものだと思っている。だから彼は取り換えられる。そのようには考えない雄大は取り換えられない。自分しかこの役割を果たせる者はいないという覚悟を持つこと。その覚悟は父となるための必要条件である。琉晴が持ってきた壊れたおもちゃを直すことを一度良多は諦めた。新しいのを買ってやるからと言った。しかし、良多は琉晴に教えられる。「お父さん(雄大のこと)に直してもらう」と言う琉晴に良多は教えられる。「おじさんが本当のパパなんだ」。新しいものに取り換えることもなく、雄大に直してもらうこともなく、自分の手によって試行錯誤してこのおもちゃを直そうとすること。それが大切なのだと気づく。本作はいけ好かないエリートサラリーマンが、懸命に父になろうとする不器用な愛すべき一人の男として描かれる物語である。

しかし、良多の頑張りは不器用故に報われない。裁判には勝ったが自分は勝てていないと良多は思う。彼は父として敗北感にまみれている。そもそもを辿れば義理の息子と上手くいっていないという理由から子どもを取り換えたあの看護師が悪いのではないか。良多はいらだちを実行犯たる看護師にぶつける。いらだちをかつて野々宮夫妻にぶつけた看護師宮崎に因果は帰ってくる。そこに割って入る宮崎の義理の息子。「お前は関係ないだろ」と良多は言う。息子は言う。「関係ある。僕のお母さんだもん」。何かに心打たれたような思いがした良多は宮崎の息子の頭に手をやり、無言でそこを後にする。何のことはない。自分が琉晴に父と認められないのは、自分が義母をいつまでも母と認めないからではないか。自分の血を引くから琉晴は自分と同じように認めてはくれないのだろうか。しかし、問題は血ではなく、これから互いに関係を作っていくという心持ちの方だ。きっとそう思って良多は宮崎の家を出た直後、義母に電話を入れたのだろう。慶多と別れる最後の日、良多は「僕の父は子どもと一緒に凧揚げする人じゃなかった」と雄大に述懐する。雄大は言う。「親父の真似しなくてもいいじゃないか」。そう、良多もそして琉晴も、親父の真似なんかしなくて良いはずなのだ。

自然のものでなくても、十分な時間があれば定着することだってある。そのことを良多は転勤先の宇都宮で知る。研究のために作った人工の林。蝉が他所から飛んでくるのは難しくないが、ここから羽化するのには15年かかったと良多は説明を受ける。「そんなに?」と良多は言う。「長いですか?」と研究員は返す。

ある日、琉晴は脱走事件を起こす。凧揚げがしたくなって斎木の家まで一人で来てしまう。「何故叱ってやらないのか」と憤る良多に、かおりは「琉晴と上手くいかないようならこっちで両方とも引き取りますけど。こちらは全然問題ありませんので」と手痛いカウンターを食らう。ここにおいて、良多は思いあがった父親ではない。自分の無力さをしっかり見据えている。良多は琉晴に言う。すぐにお父さんお母さんと呼ばなくたっていいから…川や山がないタワーマンションだから子どもと遊べないわけではない。ここにだって種を蒔けばきっと花は咲く。ベランダから釣り糸をたらし、マンションの中でテントを広げるシーンは感動的であり示唆的だ。ようやく良多は琉晴と打ち解けることが出来てきた。家の中でするプラレタリウム。流れ星に琉晴は願い事をする。「パパとママの場所に帰りたい」。子ども心にも良多たちに悪いと思う琉晴。ごめんなさい。いいんだ、もういいんだよ。

またある日、涙ぐむ妻みどりを良多は見つける。「琉晴が可愛くなってきた。でもそれが慶多に申し訳なくて」。そう。きっと一緒の時間を重ねるにつれて自分も、琉晴を本当に愛することが出来るようになってくるだろう。そう思う良多。ふとカメラの中身を眺める。琉晴の写真がある。さらにさかのぼると、琉晴の写真よりもずっとたくさんの慶多と過ごした日々の記録がある。これから過ごす日々が過去を上書いていくとして、これまで過ごした日々はどうなるのだろうか?なかったことには出来ないのに。そして良多は慶多が自分を撮った写真たちを見つけ、一筋の涙をこぼす。自分だけが慶多を見ていると思っていた。でも、慶多はずっと自分を見てきた。自分は慶多の気持ちに応えられていただろうか?もらったバラの花さえ失くしてしまっていたのに?自分は慶多の気持ちを考えたことがなかった。きっとあいつは聞き分けがいいから、俺の言ったミッションを寂しくても我慢して守っているんだ。そして、今のままならずっと。死ぬまで。良多は自ら立てた誓いを破り、慶多に会いに行く。「会いたくなって約束破って会いに来ちゃった」。「バラの花失くしちゃってゴメンな」。「6年間はパパだったんだよ。出来損ないだけど、パパだったんだよ」。「もうミッションなんか終わりだ!」。

二人は一緒になって斎木の家に帰る。みんなで家に入るとき、慶多は良多に言う。「スパイダーマンって蜘蛛だって知ってた?」。それははじめて斎木の家に慶多が泊まる際、雄大が慶多にかけた言葉だ。「ううん、知らなかった」。こんなたわいもないことは、雄大から良多に直接言っても伝わりはしない。「スパイダーマンは蜘蛛であること」すなわちここに仮託された「人の子の父になること」は、慶多を介してはじめて雄大から良多に伝わり、そして良多は父になったのである。

そして父になる

そして父になる

  • 発売日: 2014/04/23
  • メディア: Prime Video