グリーングリーンの解釈について

この歌は原曲と歌詞が違う。原曲と日本語版との間に全く意味的なつながりはない。日本語版の歌詞が、とてもテクニカルで、さらには体系的で一本筋の通ったストーリーとしてよくできているため、解釈を書く。

まず歌詞は以下の通り。

1.
ある日 パパと二人で 語り合ったさ
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には 小鳥が歌い
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる

2.
その時 パパはいったさ ぼくを胸にだき
つらく悲しいときにも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン 青空には そよ風ふいて
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がゆれる

3.
ある朝 ぼくはめざめて そして知ったさ
この世につらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン青空には 雲がはしり
グリーン グリーン丘の上には ララ 緑がさわぐ 

4.
あの時 パパと 約束したことを守った
こぶしをかため 胸をはり ラララ 僕は立っていた
グリーン グリーン まぶたには 涙あふれ
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑もぬれる

5.
その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と帰ってこないと ラララ 僕にもわかった
グリーン グリーン 青空には 虹がかかり
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がはえ

6.
やがて 月日が過ぎゆき 僕は知るだろう
パパの言ってたことばの ラララ ほんとの意味を
グリーン グリーン 青空には 太陽笑い
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑があざやか

7.
いつか ぼくもこどもと 語り合うだろう
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
グリーン グリーン 青空には かすみたなびき
グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑が広がる
緑が広がる 緑が広がる 緑が広がる

多くの人は7番までの内容を知らなかっただろう。全文を一読すると、イメージやその原因の一つである曲調とは異なり、内容はなかなか深刻なものであるとわかる。そして、不可解な歌詞が目に付く。1番で、何故パパと突然語り合ったのか。そしてその内容は何故この世に生きる喜びと悲しみについてなのか。6番の、パパの言ってた言葉のホントの意味とは何か。順に追っていく。

1番で僕はパパと「この世に生きる喜びと悲しみ」について語り合う。ママと出会ったこと、付き合うことになったこと、結婚したこと、そして僕が生まれたこと。そんなこの世に生きる喜びについてパパは語ったのだろう。

では、語られた悲しみとは何か。それはわからない。ただ、パパは2番で僕につらく悲しいときにも泣くんじゃないと言った。このとき僕にはつらく悲しいときがどんなものか、まだわからない。3番に当たる次の日の朝、僕はそれを知ることになる。パパとの別れだ。

4番で僕はパパとの約束を守る。守ろうとする。しかし、まぶたから涙があふれ出てしまう。それは5番にあるように、二度と帰ってこないとわかっているからだ。だからパパは僕と、「この世に生きる喜びと悲しみのこと」を語り合ったのだ。5番の続きでは、そんなときですら無情にも、青空には虹がかかり、丘の上には緑が映えている。

6番で再び物語は大きく動く。「やがて 月日が過ぎゆき 僕は知るだろう パパの言ってたことばの ラララ ほんとの意味を」。本当の意味とは何か。そのカギは7番にある。「いつか ぼくもこどもと 語り合うだろう この世に生きる喜び そして 悲しみのことを」。黙示的で怖ろしい歌だ。残酷で美しい歌だ。自らの子と「この世に生きる喜びと悲しみのこと」を語り合うのはどのようなときか。もう帰ってこれないとわかっている旅路につくときだ。おそらくは戦争だろう。パパはバラバラに砕け散り、躯をカラスに晒して死んでいったのかもしれない。そして僕は自分もまたそのようになるであろうことを予期している。受け入れている。そしてそのまた子どもも。パパの言う「つらく悲しいとき」とは残される悲しみを言ったものではない。残していく悲しみを言ったものだったのだ。

解釈はこれで終わらない。7番まである歌詞のうち、ここまでは各部の前半部のみを扱ってきた。構成として、前半部はストーリーが、後半部はただただ情景描写が続く。しかし、意味もなく情景描写が続くわけではない。前半部との関連を見てみるとそのことがわかる。4番では僕の涙と呼応して、緑が濡れているように読める。前半部の内容に合わせて情景描写は変化しているのだろうか。そうではない。なぜなら、前述のようにパパが二度と帰らぬ旅路に出かけた5番では、無情にも虹がかかり、緑が映えているからだ。つまり、人の世とは何の関係もなく、僕を取り巻く自然は日々移ろい、見せる姿や表情を変えていく。そのことを表すために、この曲は前半部に匹敵する分量を情景描写に投じたのだ。これはある種の救いでもある。変わっていくということであり、変わらずあり続けてくれるということでもある。「無情」で「無常」で「無常が常」であるということだ。

最後に、僕はこの曲の正統な解釈をした歌い方は以下のバージョンだと思っている。すなわち、少年が明るくこの曲を歌う。突き放した冷たさと優しさがある。

www.youtube.com最後あたりの歌詞とその歌い方に注目してほしい。くどいほどにまで本筋のストーリーとは関係のない情景描写についての歌詞が書かれ、その美しさを表現するために「緑が広がる」が様々な歌い方で繰り返される。この部分を聞いて僕は、果てしなく広がる草原に晒された多くの兵士の遺体を、パパの躯を、それをついばむ数匹のカラスを見る。