エッセイ

物語的シミュレーションについて 何故人は物語を求めるのか

「まどマギとヴェーバー 奇跡の日常性について」という記事で昔、「物語的想像力によるシミュレーション」という造語を使った。今後は「物語的シミュレーション」と呼ぶこととし、この語の意味をより詳細にすることで物語の持つ効用を明らかにするとともに、…

汚職発見のビジコン、または社会科の自由研究としての汚職発見

【背景】私立中高一貫校に通っていたころ、運動会に出場するには学校指定のハチマキが必須で、何故か500円もした。これについて父がとても怒っていた。こんなに高い訳がない。リベートをもらっているに違いない、と。今考えると、値段設定がおかしいというこ…

モノポリーの新ルール提案:奴隷制度

モノポリーをしていて、二つ不満があった。①早々に脱落した人間が暇。②決着がつかずダラダラ続きがち。この二つの問題を解決するために、①'脱落した人間は奴隷となり、②'彼らがゲームの決着を早めるよう作用させる、という案が出た。これを検討していくと面…

役に立たなくて不快な人間はどこに行くのか? 中年童貞とかアメリカ大統領選とかの話

世の中には、役に立たなくて一緒にいるとそれだけで不愉快にさせられる人間というのが一定数いる。そういう人間は、今の社会では、要らない人間とされている。役に立たないけれど不愉快でない人間や、役に立つけれど不愉快な人間なら、何らかの形で誰かから…

機械が人間になるとき、そして、人間が機械になるとき

以前のブログ『機械には代替出来ないこと、すなわち感情労働、あるいは人間を人間たらしめている何物かについて 』で、「人間がセクサロイドを人間であると考えている限りにおいてのみ、セクサロイドは完璧なセクサロイドになりうる」と書いた。これはつまり…

近代の産物としての承認欲求

これは、前回の承認欲求のパラドクスの続編である。 今回は、「なぜ承認欲求が今日においては重視されるのか」と「なぜ承認欲求の単位に時間が用いられているのか」について書きたい。 まずはじめに、「なぜ承認欲求が今日においては重視されるのか」につい…

承認欲求のパラドクス

承認欲求についての議論をよく目にする。承認欲求の問題が今日において、重要な論点であることについては、僕も同意する。なぜ承認欲求が今日において重要であるかの理由の一つは、「機械には代替出来ないこと、すなわち感情労働、あるいは人間を人間たらし…

なぜ欧米の普遍性は特別なのか キリストは三度よみがえる

普遍的な価値観というものは、何も欧米だけが持っているものではない。イスラム帝国や中国のような広範囲を支配した帝国においても、異なる価値観を持った人々を統治する必要性から、必ずある程度の普遍的な価値観は観察される。 しかし、それにもかかわらず…

不老不死についての思考実験

この前、友人と話していて出た話題について、少し思考が深まったので書く。 不老不死について、その実現可能性ではなく、それが実現した後の社会について考えようと思う。なぜ実現後の社会について考えようかというと、単にそれが面白そうだから、というのも…

恋愛工学の矛盾とその克服

恋愛工学について、それを実践される側(つまり女性)に立つ文章が多い。僕は実践する側(つまり男性)から考えてみたい。まず先に白状しておくと、原典となる文章を一つも読んでいない。だが、今日支配的な特定の思考法、あるいはイデオロギー、要するに効率至…

機械には代替出来ないこと、すなわち感情労働、あるいは人間を人間たらしめている何物かについて

機械が決して代替出来ない人間の営みの領域があるのではないか。あるとすればそれはどのようなものか、について考えたい。 一般に、近代以降の歴史は、機械が人間の仕事を代替していく過程、その範囲を拡大していく過程であった。労働は、伝統的には肉体労働…

明晰さと機能美

明晰な文体にフェティッシュな魅力を感じる。 余計な箇所をギリギリまで削ぎ落としたセンテンスが、段落が、相互に関連しあう構成を繰り返し読む。それはとても楽しい。味わい深い。そのような文章を書く作業も、調子がいいときにはやはり楽しい。 文章を磨…