当初僕は『うっせぇわ』について、「取るに足りない子どもの歌」以上の意味を見い出せていなかった。①何故子どもの歌と思ったか。たとえ歌の中で社会人としてのルールやマナー(作中のこれらは子どもに想像・理解可能な程度の「社会」に過ぎない)が言及されていたとしても、徹底して受け身であること、自分の運命を自分で決められないこと、その境遇においてこの曲は子どもの歌だからだ。
また、②何故取るに足りないと思ったか。作中では「一切合切凡庸なあなたじゃ分からないかもね」や「頭の出来が違うので問題はナシ」、「私が俗に言う天才です」と次々に自己と敵となる対象を区別し、自らを特別視して敵となる対象を貶める歌詞が繰り出される。そして、この傾向が強まるほどに歌い手たる「私」の卑小さが浮かび上がってくる。歌の中での攻撃的な言葉たちも「私」の頭の中にこだまするばかりで、ついには相手に届かず終わる。「私」はグチを垂れ流すばかりで、曲の最後には「アタシも大概だけど どうだっていいぜ問題はナシ」と自己完結する。何ら具体的なアクションを起こすことなく(起こすことが出来ず)、想像上の復讐で満足する態度は、ニーチェ的な意味での弱者そのものである。ジョジョの第5部におけるプロシュートの名言を僕は思い起こす。
「オレたちチームはな!そこら辺のナンパ道路や仲よしクラブで『ブッ殺す』『ブッ殺す』って大口叩いて仲間と心をなぐさめあってるような負け犬どもとはわけが違うんだからな『ブッ殺す』と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!」
以上のような文脈で、この曲を嬉々として歌う人々は読解能力が欠落しているか、恥の概念がないかのどちらかだろうと思っていた。
しかしながら次第に、この曲が大きな反響を得ている事実について、上記のような理解だけでは取りこぼされている事柄があるように思うようになってきた。結論を先に言えば、この曲は「ガキの粋がり」というよりも、「ギリギリにまで追い詰められて逼塞した人間の悲鳴」として読むべきなのだ。「私」が誇大妄想とも言える大言壮語を吐く点をもって、「私」はある意味で病んでおり、この曲を歌うことを通じて自己慰撫を果たしているのだと理解するだけでは不十分だ。これではまだニーチェ的弱者という理解の延長線上でしかない。①何故この曲は「悲鳴」と言えるのか。②その「悲鳴」にこの曲の支持者はどのような積極的意味付けを見出しているのか。それらについてこれから見ていく。
この曲が「悲鳴」であることを理解するには、若い世代(ここでは10代から20代前半あたりまでを想定)の現在置かれている状況を理解しなくてはならない。また、この部分について、十分な論証は(筆者には力不足かつ面倒であるため)行えず、印象論として語らざるをえないことについても予め断っておく。
そもそも、若者とはいつの時代もマイノリティである。それは数の問題ではない。力を持たないが故に、彼らは多数派になることが出来ない。多数派になることが出来るのは、社会経済的な力を持った大人たちである。結果、少数派として抑圧された若者たちは身を守るために様々な方策に出ることになる。
戦後の日本を振り返ると、それは①学生運動、②校内暴力、③自傷と引きこもりという形で変遷していったように思われる。①の学生運動では、彼らなりの筋道を立てて組織だった抵抗運動を行った(学生運動では政治闘争だけでなく、学内統治の問題も大きな論点の一つだった。例えば、高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 を参照)。それが鎮圧された後の世代は、②校内暴力という方法で散発的に、そしてもはや論理とは言えない形で、異議申し立てを行った。そして次にクローズアップされてきたのが③自傷と引きこもりである。ここにおいては、自らが抱える不満はもう外へは向かわない。内へすなわち自らへと向かう。この内向的傾向の原因は、周りに迷惑をかけないためかもしれないし、説得や理解を諦めたためかもしれない。
僕は今の時代はさらにもう一歩先のフェイズに来ているように思っている。どういうことか。①学生運動や②校内暴力は、外すなわち社会(や学校)に対して負担を強いるものであった。正確には、若者自らが負わされている負担の一部を、社会(や学校)に肩代わりさせようとするものであった。しかしそれは次第に社会的に許されなくなってきたのだと思う。尾崎豊の「盗んだバイクで走り出す」や「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」という歌詞が、上の世代においては共感や同情を持って迎えられたのに対し、より若い世代においては冷ややかな目で見られるようになったことは象徴的である。
外に負担を強いることが出来なくなった主体は、内へと向かう。内とは家庭にほかならない。③自傷や引きこもりは社会(=学校)の問題ではもはやない。結果的に、社会が負ってきた負担は家庭に押し付けられることとなる。
こうして家庭がかろうじて負担することによって支えられてきた均衡が、崩れかかっているのが今の時代だと僕は考える。背景には家庭の金銭的逼塞、両親の老後問題、共働き核家族世帯の増加などがあるように思う。家庭は腰を据えて子どもを支え続けるだけの金銭的・精神的余裕をもはや持たない。子どもたちは外にも内にももう寄りかかることは出来ない。幼いころから「出来るだけ社会や学校や親に迷惑をかけてくれるな」というメッセージを陰に陽に浴び続けることになる。迷惑をかけることや荒れること、あるいは逸脱することは「ダサい」ことだと、様々な表象を通じて教育=洗脳されることになる。
以上の文脈から見れば、「ちっちゃな頃から優等生 気づいたら大人になっていた ナイフの様な思考回路 持ち合わせる訳もなく」という作中の歌詞も、はっきりと意味が浮かび上がってくるように思われる。すなわち、ここでの「私」「たち」は、優等生=物分かりの良いいい子であることを強いられ、早々に大人になることを強いられてきた。ナイフ(のような思考回路)はもちろん予め取り上げられている。「私は模範人間」なのであり、「殴ったりするのはノーセンキュー」と、思考のレベルで「去勢」されている。飼いならされている。
もはや「私」はベタに反抗を歌うことは出来ないし、聞き手である「私」「たち」もそれをベタに聞くことは出来ない。歌いだしで「正しさとは愚かさとはそれが何か見せつけてやる」と、「これから歌う内容は愚かで奇矯なものであり、それは私もわかっている」とエクスキューズを入れなければ、言葉は届かないというリアリティの中に「彼ら」はいる。以上のような意味で、負担を抱え込まされ、凶器どころか言葉も思考も奪われて逼塞した「私」の悲鳴こそが『うっせぇわ』の歌詞なのだ。
チャゲアスの「YAHYAHYAH」やブルーハーツを聴いて育った上の世代にとって、「彼ら」は理解出来ないリアリティを生きている。『うっせぇわ』を聴いてその反感から、「これから一緒に 今から一緒に殴りに行こうか」や「いっそ激しく切ればいい 丸い刃はなお痛い 後に残る傷跡は 無理には隠せはしない」という一節が思い浮かぶ僕のような人間からすれば、この曲は何をくだらない、わかりきったことでグダグダ言っているのだろうと思えてしまう。
しかし、彼らをとりまく情況は「いっそ激しく切ればいい」なんて思いもよらないまでに、そこまで後退してしまっているのだ。「彼ら」は我慢をし続けて、色んな主体から押し込まれ続けて、守勢に回り続けてきた。そんな「彼ら」にとって、『うっせぇわ』ははじめて外界の攻勢を押し返す拠点となる曲なのだ。相手のことなんて考えなくていいし、嫌なら嫌と言えばいい。何なら相手を傷つけたっていい。
上の世代にとっては当たり前で退屈に映る、これらの反抗・抵抗のコードを再発見したことにこの曲の意義はある。言い換えれば、「私」「たち」は飼いならされていたのだと、はじめて明言し、自覚させてくれたこと、ここにこの曲の「私」「たち」にとっての意義はある。
あまりに「彼ら」は外界を受け入れすぎてきた。自分だけの領域を持つことが出来なかった。だから、一度劇的な形で切断する必要があったのだ。この曲に対して向けられる「文句ばっかり言ってないで早く大人になれ」という言葉もこれまでの文章を読んでこればわかるように全く意味をなさない。「彼ら」はずっと「大人になれ」と言われてきたのだ。そしてそれ故に、本当の意味では大人になれなかったのだ(そもそも、迷惑をかけてくれるなと子どもに臆面もなく言ってきた大人たちは、本当に大人であると言えるのだろうか?)。
「彼ら」は暴力に訴えることはもちろんなく、パッと見た歌の雰囲気とは異なり様々な予防線を張りながら、随分おずおずと声を上げた。声を上げることではじめて、当事者たちが騒ぐことではじめて、問題は問題と認知される。
これまで黙らせてきたこと、黙らせられてきた主体が声を上げるほどにまで追い詰めたこと、本件を問題化する手間までも「彼ら」に負担させてしまったこと。この事実は重い。別の言い方をするならば、『うっせぇわ』のような、(上の世代からすれば)予防線張りまくりで、結局脳内妄想に終始する「ダサく」て不格好な歌を新しい世代に作らせてしまったこと、それが若い世代に広く受け入れられるような社会状況や想像力を作り出してしまったこと。これらは上の世代の責任なのだ。
「彼ら」は声を上げはしたけれども、上の世代に多くは期待しないだろう。「彼ら」は子どもにはもうなれやしないことをわかっているのだと思う。社会を支えられるだけの大人はもういない。一人ひとりが出来るだけ自分で踏ん張り、余裕があれば他人を支えなければやっていけない段階にもう入っている。
僕は、「彼ら」でもなければ「彼ら」の両親でもない。ちょうど中間の世代にあたる。「彼ら」=子どもたちにはいささか酷だけれども、僕たちの世代=青年(そして当然それより上の世代)にとってはきちんと向き合うべき、かつての三島の言葉を思い起こして、本文を終わりとしたい。
「ここまで青年を荒廃させたのは、大人の罪、大人の責任だ、というのが、今通りのいい議論だが、私はそう考えない。青年の荒廃は青年自身の責任であって、それを自らの責任として引き受ける青年の態度だけが、道義性の源泉になるのである」